2022年6月12日日曜日

どんな旅もパッキングから始まる

 

紅顔の美少年の頃、幾つか観ていたロードムービーやホーボー映画があった。

映画の中の彼らの持っている旅装は、極めて単純だ。

ブランケットを一本の紐で 両端を縛り、小さな袋と一緒に斜め掛けする。

或るいは 長い袋の首元を縛り斜め掛けする。究極は 何も持たない。

荷物を収納するバッグは、荷物の嵩と重量に比例している。

成り行きで 仕事上の旅が増えてしまった数十年前から 持ち歩くバッグの嵩と重量を考えてきた。

一は資料とPC周辺機器、二は衣類。

一は、嵩も重量も減らせない、A3 35㎜巾2冊位が収納できる大きさが必要だった。PC周辺機器は プリンターや延長コードを担いでいた時から 少し楽になり、15インチと老眼眼鏡が収納できる大きさが必要だった。

二については、当初ホテルのバスタブで一緒浴したりしてたが、東南亜細亜ではランドリー・サービスが安い或いは一袋無料、近所の路地の洗濯屋ではキロ幾ら或いは一袋幾らで洗濯してくれる。パンツと靴下は2枚、Tシャツは3枚、シャツは1枚にす。

圧縮袋で嵩を減らせる。

 

そして、気が付くとPC収納型のデイパックを担ぎ、A3ファイルが入るエキスパンダブル・布製キャリー(3,40L)をガラガラし、パスポート、財布、携帯を入れる小さなショルダーを襷掛けして 旅をしていた。

パッキングは 出発10分前でOK、いつでも何処にでも行ける。

気分は もうホーボー!

 

もう3年も君達を抱きしめて 旅をしてなくて スマン。

 


2022年5月28日土曜日

東征或いは征夷を巡る二つの英雄奇譚 其の二 阿弖流為と坂上田村麻呂

其の一に書いた あったかどうかも分からない倭建命の東征から、数百年が経ち、ほぼ数百年前と変わらない前線(むしろ後退している)で倭の国は再び、東征、征夷を行う。

先ず、砦麻呂の乱があった様だが真相は不明、ここで石巻南部の最前基地多賀城を失う。

それから数十年後に、陸奥最大のヒロイック・ファンタジーの阿弖流為と坂上田村麻呂が突如登場した。

陸奥とは、陸の奥、陸の行き止まりの意味だ。

がっ、阿弖流為(蝦夷の本拠)は胆沢(現岩手水沢近辺)なので 陸の行き止まり(大間)350km位あり、当時だったら途方も無い彼方なのだ。

当時、阿弖流為は現十和田なんぞに居なかったのだ。

阿弖流為に馴した蝦夷部族 陸の行き止まり北方に散じ、阿弖流為は500人の族と投降する。

そして坂上田村麻呂は阿弖流為を捕縛し、都迄連行し、助命嘆願するもののバカ達が阿弖流為の首を切り、田村麻呂は慟哭す。チャンチャン。

とは終わらない。幾つかの祭儀に於ける東北映像資料を観た。

その祭儀は、阿弖流為或いは後付け凶賊悪路王に捧げられているそうな。

祭儀に重要なのは、歌舞音曲だ。リズムと舞が プチチョム、チャンゴチュム、ヒャンバルム、サルムノリにクリソツなのだ!

 

蝦夷の戦法は 騎馬民族のゲリラ戦で、坂上田村麻呂はこの戦法を学び、戦ったのではないかと思う。それは、かつて騎馬民族の倭人だった血が蘇ったのかもしれない。

 

日本仔は 何処から来たのか?元々居たのか?って命題がある。

例えば 香港辺りから臺灣経由でとか、東南亜細亜のどっかから、フィリピンからの船旅漂流説、シベリアから徒歩南下説が入り乱れている。

その中で最も頷けるのは 韓から来た人達が 原人と混触しながら 何となくなってしまっただ。

海を渡った韓の人達が南に辿り着いたり、北に辿り着き 果てし無い漢民族闘争をしたのかも知れない。

それは妄想のヒロイック・ファンタジーの世界。

 

この妄想を与えてくれた 水沢出身のバカデブズームと苦節30年未だ津軽弁が理解できない子午線午の助(阿弖流為は青森出身じゃねーよ)に謝意を。

そして 子午線午の助がコミットした映画(?)「阿弖流為」を座して待つ。

 


2022年5月27日金曜日

東征或いは征夷を巡る二つの英雄奇譚 其の一 倭建命

 

オレがヒロイック・ファンタジー、幻想と怪奇、オカルト等小説に嵌まり込んで行ったのは、1970年 早川文庫の団精二、鏡明訳のR.E.ハワード「英雄コナン」シリーズを読んだからだ。

欧英米の作家は、古代からの伝承をモチーフにして肉付けして、小説化した。

近代日本では、有名なのは栗本薫のネバーエンディングストーリー「豹頭王グイン・サーガ」だけど、この極東島国の古代伝承から小説化したのは7080年代の豊田有恒だと思っている。

なかでも代表的なのは倭建命シリーズ、阿弖流為シリーズだ。

極東島国の古代は、平安時代初期(9世紀)位迄で、神話的伝承的或いは時の支配者の正統性を御都合主義で捏造する魏志倭人伝ならぬ偽史倭人伝として成り立つ時代だったろう。

古代から中華には、東夷、西戎、南蛮、北狄と言った四夷(夷狄)の思想があり、華人住まう国の四方の民族は 蛮族で蛮族が我が国を脅かし侵略してきてるから、仕方なく防衛しつつ少しでも前線を押し戻してるのよと現在の3大国がやってる事をやっていた。

話は本題に戻るが、古代倭の国(出所不明天ちゃん黎明期)も そんな訳で数度征夷(東夷)を行っている。

先ず倭建命が、女装して川上梟帥を寝所で寝首を掻き熊襲征伐した西征の後、東征に向かった。

どうも此の頃の倭の国の東支配権は、現在の愛知位迄だった様だ。

尾張国造家に寄宿し、娘と婚約した後、駿河に向かい、抵抗に会い、焼津、草薙剣の伝承になる。

この辺りから ヒロイック・ファンタジーになっていく。

その後相模国に辿り着き、現横須賀から現木更津に船で渡るが「こんな小さな海は一跳び」(後年 「時間のラセンをひと飛び」に転用された)と言って、神の怒りを買い、妃を海に投げ込んで難を逃れ進軍を続ける。

ここからは陸路と海路の二説あるのだが、最終的には旧北上川(石巻辺り)で蝦夷と対峙し、勾玉鏡で太陽光を反射し、蝦夷が平伏したそうな。

 

が倭建命の英雄神話は、本来であれば 都に戻り 万歳三唱で物語がシャンシャン、お後がよろしい様で、ご機嫌よ~と終わる筈なのに「オイディプス王の悲劇」を越える悲劇神話となる。

倭建命は、南下し常総・武蔵から何故か一転し越に行き、臼井、甲斐に入り、尾張に現れる。

そして婚約していた娘と初夜を迎え、しょうもない歌を詠むとある。

「さ寝むとは あれは思へど ながけせる おすひの裾に 月たちにけり」

そして、伊吹山の神と草薙剣無しで対決し秒殺され、ズタボロで都に帰ろうとするが、能煩野(三重県亀山辺り)のどっかの山で野垂れ死にす。

辞世の歌は「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」だったそうな。

そう言えば 遠藤・タケル・勝久と名乗る奴が居たな。

其の二は 阿弖流為だ。座して待て!