2010年1月23日土曜日

有山な夜

去年末 京都で 突貫娘・けい子ちゃんに貰った 
有山じゅんじと上田正樹「ぼちぼちいこか ザ・ムービー」。

何度見ても飽きない。
キー坊のボーカルも 良いのだけど、
やっぱり、有山のギターが 何度聞いても 飽きないのだ。

1990年「聞こえる、聞こえる」がリリースされるまで
75年「ぼちぼちいこか」、78年「ありのままじゅんじ」のLPを
何十回聞いた事か。でも飽きない。

キー坊の語り下ろし「戻りたい過去なんて あらへん」に、
1997年の楽屋で、有山が「やっとわかった」と
「ラグタイムは、ズン、チャン チャンじゃない、
ズン、ジャーン ジャンで ジャーンは こういう風に弾くんだ」
って 弾いてみせるエピソードがあった。

なるほど、だから、有山のギターは 飽きないんだ!


さて、血抜きの終わった牛テール、
これから「オックス・テール・スープ」を仕込もう。
食べるのは、明日だけどね。

良い子は、みんな お休み。

2010年1月21日木曜日

丸眼鏡ブラザーズ

♪丸い眼鏡に 兵隊ブーツ♪ 
豊田勇造「ブルーズをやろうぜ」の冒頭のフレーズ。
そして 最近 丸眼鏡ブラザーズってぇのが、結成された? ようだ。
そこで、丸眼鏡ブラザーズの年齢的次男坊は、所有数的長男となるべく
ここに 所有丸眼鏡を一挙に公開する。
まずは、古参の丸眼鏡 G/AやらJ/Lやら。


続いて 2004年から御愛顧の「眼鏡研究社」製
上から 1号機(現在は料理用)、2号機(遠い所見る用)、
3号機(コンピュター作業用)、4号機(遠近両用)。

2004年の日本出張時に、偶然 拾得・勇造バースデーLiveがあった。
当日、勇造ファン御用達旅館「錦水館」に荷を解き、
新京極をブラブラして、偶然見つけた丸眼鏡専門店。
明日は台湾経由で馬来西亞に帰るし、今夜は6時位に拾得に行かなあかんし、
と無理を言って、1号機を作って貰った。

毎回 同じような事を言っては、速攻で作って貰う。
が、去年6.6円山ついでに作った 遠近両用は、
レンズの関係で、後日 馬来西亞送りとなった。

丸眼鏡が好きなのは、勿論なのだが、
「眼鏡研究社」は、テンプル、モダン、パッドの調整が丁寧。
フィットするまで、根気良く 調整してくれる。
カルテも保存されている。
で、2004年以来 「眼鏡研究社」でしか、眼鏡を購入していない。
♪あんたも どう 丸い眼鏡ってぇのを~♪


カレライスです・

2010年1月20日水曜日

唐十郎「四角いジャングルで唄う」

浅川マキのレコードジャケット同様に、このLPのジャケットも黒い。


ジャャケット画は、合田佐和子画伯。
1973年に後楽園ホールリングでの、状況劇場の劇中歌リサイタル実況録音盤、
歌詞カードでは無く、当日の台本(シリアル768)が付いていた。
台本表紙には「蝶のように舞い、蛾のようにへばりつく」のサブタイトル。

限定盤だか自主製作って事だった様だが(販売はベルウッド)、
当時 よく出入りしていた、
池袋 ぱるこ ぱろうる(詩、美術、演劇関係の本屋)で 
簡単に購入した記憶がある。

中高生が、ホイホイと状況劇場の芝居を毎回見に行ける訳も無く、
このLPを聞きながら、芝居を想像したもんです。

1984年には、「音版唐組・赤テント劇中歌集」ってカセット・ブックも出たけど、
状況劇場と唐十郎の猥雑さ、妖しさの雰囲気は、
「四角いジャングルで唄う」が勝っていた。
四谷シモンが唄う「お銀ちゃんの唄」には、魂消ました。

大学の演劇部で「少女仮面」をやった時に、音楽・音響・伴奏を担当した。
このLP のおかげで、劇中歌の何曲かは、
状況劇場のオリジナル旋律(小室等作曲)でやる事が出来たっけ。

海南チキンライス

2010年1月19日火曜日

浅川マキが亡くなった事を 今朝知った

彼女のLPで、大好きだったのが
総経理が中学生だった頃の
1972年発売の「ブルー・スピリッツ・ブルース」。
他のアルバム同様 ジャケットは、モノクロムと言うより、ただ、ただ黒い。
ブルースを初めて知った気になった。

このアルバムで、秀逸なのは、全9曲中6曲で弾いている
荻原信義のAcoustic Guitar。
彼のギターのリズムと浅川マキの唄が、気だるげにスイングしている。
今も耳に残る「ハスリン・ダン」
♪ハスリン~・ダ~ン 私のいい人ぉ♪

それに「奇妙な果実」。
山下洋輔 Pianoで、ド~ンと引きずり込まれ、
浅川マキの呟きの様な詠唱で、
落ちた所から何処にも這い上がれない気分になった。

黒地に白抜きの手書き歌詞カードの文字だけでも、ブルースに見えた。

A面一曲目「ブルー・スピリッツ・ブルース」タイトル曲のフレーズ
♪夕べわたしが死ぃ~んだ 嫌な夢を見たのさ
 妖気がベッドを取り巻いていた♪

LPは、日本の倉庫にあるので、聞けないが、
唯一のDVD「幻の男たち Live 1984」(池袋文芸坐、京大西部講堂)
を見ながら、呑む事にしよう。

合掌

2010年1月18日月曜日

「アラー」の微妙な 緊張

馬来西亞のキリスト教徒新聞が聖書の「神」を
マレー訳で「アラー」とした件で、
昨年末、高等裁判所は、合憲と判決を下した。
今年に入り、10件以上のキリスト教会で付け火、いたずら書き等の嫌がらせがあった。
そして、先週末には、1件 モスクに瓶が投げ込まれ、ガラスが割れた。

昨年 ヒンドゥー寺院の移転問題で、イスラム教徒の抗議デモがあり、牛の頭が投げ込まれた事があった。

これまで、宗教については、イスラム教徒、非イスラム教徒共に
表面上不可侵であったが、微妙な緊張感が生じている。
この国の宗教問題は、民族問題に発展しかねない。

ガキの小競り合いが、おとなの喧嘩に発展しない事を願うしかない。

野菜炒めと豚肉、ナマコの煮物。
良い子達は、喧嘩しないで、眠りましょう。

2010年1月15日金曜日

マニラから帰って来た

結局、今回の旅では、日本食しか食べなかった。
昼食は、歩いて食べに行ける範囲には、ローカル食が無く、
日本食屋が一軒しか無いので、仕方がない。
夕食は、ホテルに戻る足が人頼みなので、この足を自力確保すれば、
ローカル食を食べる事が出来そうだ。
その内に、何とかしよう。

以前、コメントでヒバリさんと遣り取りした 
中華おでん「醸豆腐」(ヨンド―フ)について いずれ 書こうと思っていたら、
ヒバリさんが「おでんのルーツ」と題して、
「水牛のように」の連載で 2010/01号 書いておられた。

「醸豆腐」は、しばらく ボーっと考察して、別の視点で書く事にしよっと。

昨年末の訪日時に、配布した「肉骨茶の素」で、
現時点までに、3件の調理報告があった。
とりあえず、概ね好評なので、「肉骨茶同好会」を立ち上げる事にした。
さらなる、調理報告を待つ。

2010年1月11日月曜日

またまた、良くない循環

お昼ご飯は、工業団地の唯一歩いて行ける日本料理屋。
夜は 送ってくれた現地関係者と日本料理。
これまで、3回マニラに来ているが、フィリッピン料理を食べたのは一回だけ。
今回も、屋台で食べるチャンスは 無さそう。