2010年2月14日日曜日

新年快楽!恭喜發財!


朝洗濯物を干して、2度寝。
爆竹の音で、10時頃 目が覚める。
春節ですね。

毎週 土、日曜日の朝、洗濯をする。
洗濯物を干すのは、午前7時前後。
コンドミニアム内のプールに面したベランダに干す。
4階に住んでいた時に、プールに面した所に、
洗濯物を干しちゃ「アカン!」と注意を受けた。
良いじゃないか、総経理のパンツが見えるぐらいの事は。
別に美観を損ねているとは、思えないし。
今は、18階だから、下から見ても、見えないので、OK。
誰も文句を言いに来ない。
こんなプール


以前 強風でTシャツを何枚もさらわれた事があった。
「雲遊天下ジャケ画Tシャツ」も どっかに飛んで行っちまった。
そこで、ハンガー・クリップを付け、Tシャツとハンガーを洗濯バサミで固定。
さらに、ハンガーにワイヤーを通す事にした。

それから、一枚も無くなっていない。


ロティ・チャナイ、カレー、野菜。

明日も お休みさ。


2010年2月12日金曜日

In Memory of ぎるどでしじゅう嬢

前回最後に ぎるどでしじゅう嬢(37歳 未婚)の検診結果を報告した。
重症では無いと思っていたが、その後 木村院長の治療詳細を見てびっくり!
背骨・頸骨の調整は、一度背骨を切り離して、再度付け直す大手術との事。
しじゅうちゃん がんばってね!
替えの下着が欲しい時は、さくらさんに頼む様に。

ぎるどでしじゅう嬢が、総経理のお家に来たのは、
1982年9歳の時、やんちゃな10代の10年間、
総経理が抱いて、鳴かせていたのは、こんなんだった

1310師匠のTAB譜集
Stephane Grossmanの教則本
お家
に来る以前に居たお家の人

ぎるどでしじゅう嬢は、フラット・ピッキングで鳴らされていたのに、
総経理には、フィンガー・ピッキングで鳴らされてしまった。

ぎるど姉妹弾きで有名なリッチー・ヘヴンズも、激しいフラット・ピッカーですね。
ギルド姉妹のイメージは、フラット・ピッキングで良く鳴くイメージ。

総経理は 生来のリズム感が無かったのと、
ギターを始めたのが
高田渡のスリ―・フィンガーってのを弾いてみたかったので、
始めから フィンガー・ピッカーなんですね。

フィンガー・ピッキングでも、ぎるどでしじゅう嬢は 良く鳴いてくれました。

でもね、最近はもう、ツー・フィンガーやスリー・フィンガーでは量が少ないので、
ジン・ロックを頼む時は、もっぱら 指を開いてのフォー・フィンガーです。


肉茄子味噌炒め

In Memory of ぎるどでしじゅう嬢 でした。

2010年2月10日水曜日

お酒を嗜む事

学生の頃 憧れたお酒を嗜む人達は、こんなだった。

其の一
町田の馬肉屋の午後2時頃
馬刺しを肴に お銚子2本位で 
一時間位して出ていく おじさん達。

其の二
相模大野「がくさん」「かめや」で
大徳利1本と煮込み、焼き鳥3本
さっと来て、さっと呑んで、さっと帰るおじさん達

其の三
町田の蕎麦屋の昼下がり、
焼き味噌、抜きで、升酒をゆっくり呑んで、
蕎麦をチャチャっと手繰って、出ていくおじさん達

あんな風に お酒を嗜む事が出来たらと思い
30年以上経つが、未だに出来ません。
これからも 出来そうもありません。

大宮駅前の「いずみや」や昨年末の「天満酒造」で、
朝から出来あがっている人を見ると、
これでいいのだと、納得してしまう総経理。
これはこれで、お酒を嗜んでいると言えるよね。たぶん。

そんな 天満に連れて行ってくれた 我が心の呑兵衛bに捧ぐソース焼きそば。


ぎるどでしじゅう嬢(37歳・未婚)の診断結果概要第一報が木村院長から届いた。
肋骨3本剥離、骨盤剥離、クルクル耳の調整要、背骨・頸骨の調整要との事。
手術後、調教師カンチに よく鳴く様に 彼女を撫でて、抱いて貰う事にしよう。
総経理も再び抱く事が出来る時の為に、
やいりちゃんとクリップ・チューナーごっこで遊んでよっと。

2010年2月9日火曜日

Master Tape~荒井由美「ひこうき雲」の秘密を探る~の記憶

NHKの海外向け放送World Premiumでも、先週の土曜日に放送された。
日本での放送後、呑兵衛m嬢が、
毎日見返していると書いていたので、楽しみにしていた。
午後11時からの放送なので、酔い潰れて、寝てしまってはいけないと、
昼酒昼寝して、晩酌も控えめに、心して その時を待った。

ふむふむ なるほど、細野さんだ、駒澤さんだ、
やはり鈴木茂は出てないのねとか、呟きながら、
55分間の番組を「見た」はずだった。

雨音に気付いて、遅く起きた次の朝は、番組の記憶が、ほとんど 無い!

冒頭で ユーミンがマスター・テープを持ってスタジオに入って来る場面、
駒澤裕樹が、間奏の弾き直しをする場面、
細野さんのガットギターとユーミンのボーカルトラックのみの場面、
マンタが花を牛乳瓶に挿して、ピアノの上に置いた話。
55分中5分位じゃないだろうか? なんて、こった!

何を料理して食べたのか、思い出せない事が多々あったので、
夕飯の写真を撮る事にしたのが このブログの始まり。
田川さんとの対談で、「酒を呑むと脳細胞が壊れる」と勇造が話していた。
意味深い御言葉と頷き、座右の銘とするか。

って、今日、副業業務中に電話が!国番号66?何処の客のクレームや?
「Hello?」
「Hello?あるまじろさんですかぁ?」
「申し訳ありませんが、どちら様でしょうか?」
「3/15まで泰に居るし、仕事があったら呑みに来ぃひぃんか?」
「泰に行く仕事がないので、吉隆坡に来られたら宜しいのでは?」
突然の嬉しい電話なのに、頭切替不全、業務声で愛想無しに答えてしまった。

♪Liveも無いのに、脳細胞を壊しに 曼谷に行くのもいいもんだぁ~♪

子持ち鰈の煮付け、ホウレン草のバター炒め、味噌汁、
電話で気が動転して一瓶分を落とした大人食い「なめたけ御飯」

2010年2月8日月曜日

近づく今年2度目の御正月

2月14日から中国正月になる。
1月1日を日本正月とすれば、今年2度目の正月。

でも、ショッピング・センターに行っても、中国正月用飾り付け位で、
不景気なのか、ガンガンに鳴っていた中国正月ソングがなくて、
少し 寂しい。

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ドラゴンダンス、ライオンダンス、爆竹やらと
中国正月は、賑やかであって欲しい。
でも、夜中の爆竹は 止めてね。

御友達がお家に来たので、会食
ローストダック、醤油チキン、豆苗、塩もみ胡瓜、水餃子。
良い子は 皆 お休み。

2010年2月5日金曜日

馬来西亞の街角で

昨年辺りから 馬来西亞でも地域毎に「No Plastic Bag Day」の日がある。
レジ袋を無料で出さない日って事。
馬来西亞のスーパー・マーケットは、レジを打ちながら、
店員がどんどこレジ袋に商品を放り込む。
それも、2,3点入れたら、別の袋に放り込む。
ちょっとした買い物でも、レジ袋の山になる。
最近「No Plastic Bag Day」の日は、客が激減しているんだそうな。

ここ数年 エコ・バック持つ人をよく見かける様になった。
民族別では、エコ・バッグ携帯率は、ダントツで華人。
マレー、インド系は、持っている人をあまり見た事がない。

そんなエコ・バッグのよく見かける使い方。
使い方1:レジで、肩から提げてるエコ・バッグから、財布を取り出し、清算。
店員が放り込んでくれたレジ袋を両手に持って、帰る。
使い方1’:清算までは、使い方1と同じ。
店員が放り込んでくれたレジ袋を連れて来ているメイドに持たせて、
本人は、エコ・バッグのみ提げて、帰る。
華人のメイド雇用率は、高い。
使い方2:店員が放り込んでくれたレジ袋、
御客がおもむろにエコ・バッグを取り出し、両手で開き、
店員にレジ袋をエコ・バッグに入れさせて、帰る。
使い方3:市場で生きたままの鶏を紐で括って貰う。
紐で括られた鶏をエコ・バッグに入れて帰る。
バッグから出た鶏の頭が周りをキョロキョロしている。
以前は、括った紐の端を手に持って、
鶏をブラブラさせながら、帰っていたものです。

因みに総経理は、週一の仕入れの為、エコ・バッグでは小さすぎ、
どでかいキャリー・バッグに詰めて帰ります。
時にはレジ袋ごと、時にはレジ袋無しでね。
少し反省。
風邪気味で早退した日の夕食は、肉骨茶で 邪気退散。

2010年2月4日木曜日

梅棹エリオ「熱気球イカロス5号」

中学生の頃に繰り返し読んだ。
当時の本は、日本の倉庫にあるので、確認できないが、
題名は、「飛べ!イカロス5号」だった様な気がする。

総経理が読んだのは、72年(刊行年)か73年。
高校生の梅棹エリオが熱気球で飛びたいと思い立ち、
友人達とあれやこれやしながら、資金協力、物資協力を受けてはいるが、
ほぼ自前で熱気球を製作、69年に日本で初めての熱気球で飛んだ体験記。

目的を達成する為に、何が必要で、その必要な何かを入手する為に、
何をしなければならないかを考え実行する。
熱気球で飛びたい梅棹エリオの磁場に 人材や物も、集まって来る。
この本を何度も読み返したのは、
思い込みだけで、目的を達成させてしまう行動力に共鳴したからだ。
就職しなくっても、天下国家を論じなくっても、
こんな風に生きていけるんだと単純に思った。

梅棹エリオの本は、この一冊しかないし、再び熱気球で飛んでもいないし、
その後何をしているのかも知らない。

著者紹介では、父が文化人類学者の梅棹忠夫とある。
彼にとっては、偶然父が梅棹忠夫だっただけだったんだろうな。
当時「熱気球で飛んだ冒険家」とか書かれている記事を見た事もあるが、
彼は冒険でもなんでもなく、熱気球を振興させる為でもなく、
単純明快に ただ熱気球で飛んでみたかっただけなんだって、
総経理は、あの頃も 今も思っている。