免許の更新で 関東に帰り
父母と鮨屋で話していたら
父方の祖母の三十三回忌が去年で
墓のある 大宮まで
ひとつ下の 従妹が引率して 伯母三人が 北海道から来たそうな。
良く分からないが 北海道では 三十三回忌で
大騒ぎをして 楽しく 故人を忘れるそうな。
祖母は 俺が中学の頃に
北海道を離れ 同居して 生け花教室をしていたが
結局 独りでもいいからと 北海道へ帰った。
三十三年前 祖母が入院し
ちょうど 札幌赤レンガ倉庫で 豊田のライブがあったので
見舞いがてら 札幌に行き 祖母のアパートに泊まった。
そこには 何故か 叔父が居て
叔父のFolk WaysのLPを聴きながら過ごした。
大量のFolk WaysのLPは 叔父にせがんでも
ここで 聴いて帰れと言われた。
十歳ちょっと違う 伯母の家で
義叔父と呑んで 酔っぱらって 身体が揺れていると
伯母から 馬鹿共は 酔っぱらって ユラユラせず
私の息子を家から連れ出せ 馬鹿が!と怒られ
幼い 従弟達を抱えて 家の外に出た。
浦賀沖地震だった。
さて 俺は 父母が逝った後 父母の三十三回忌をできるまで生きてるのだろうか?
父から まっ これからは それは無理だなと 言われた。
2015年5月2日土曜日
そういうことだ
ルーチンの御買い物にも出かけずに
朝から 引き籠って
カート・ヴォネガットの評伝
「And So It Goes」の残り300頁を読了。
評伝部591頁、付録部8頁、訳者あとがき3頁
参考文献、注等々73頁だ。
4日も掛かってしまったのに
残り300頁を5時間位で読んでしまった。
引き込まれてしまう様な評伝ではない。
ヴォネガットが生きていたら
「これは私について書かれた本の中で最悪なクソだ。
だって クソの事しか書いてないんだから」
と 言ったかもしれない。
告白しよう。
今朝 ショップロットで咖哩麺を食べ
駐車場を出る時に ガード・ポールに
車の右フロント・ライトをしたたかに 打ち付けたのだ。
まるで鞭打ち教徒の懺悔の様に。
ライト・カバーは割れ、バンパーが変形し下がってしまった。
再三 書かれているが
ヴォネガットは、家庭内で何かあると
逃亡して 現実を見ない様にしていた。
で 私も同様に 逃亡して 現実を見ない様に
この本を読了したのだ。
お出掛けすると 変形したバンパーを見てしまう。
見なければ 明日の朝には
神様の御恵みで 何事も無かった事になっているだろうと。
ハイホ~ やれやれ。
2015年5月1日金曜日
定点観測 in 吉隆坡 on Malaysia GW
今日はLabor Dayで祝日
日曜日がWesak Day(お釈迦様の誕生日)で祝日なので
月曜日が振り替え休日となり
タナボタGW!
読書をして過ごそう。
読了予定は
「And So It Goes : Kurt Vonnegut : A Life」残り300頁
「笹の船で海を わたる」角田光代
「夜のクーパー」「火星に住むつもりかい?」伊坂幸太郎
昨夜の夕食
Pro Balance Gourmet Selection Tender Lamb & Vegitable
トッピングは大根の微塵切り
そして 辛みネギのパスタ
2015年4月29日水曜日
何故 私は 本を読み続けるのか?
子供の頃から 本を読んでいる。
それは 小説だったり 歴史書だったり
エッセイだったり 評伝、辞書、百科事典
絵本だったり 文献や理論書だったり
下らない機械のカタログだったり。
文字と行間は 素敵な旅に連れて行ってくれる。
私にとって
本は 生きてく上での 主食です。
それは 小説だったり 歴史書だったり
エッセイだったり 評伝、辞書、百科事典
絵本だったり 文献や理論書だったり
下らない機械のカタログだったり。
文字と行間は 素敵な旅に連れて行ってくれる。
私にとって
本は 生きてく上での 主食です。
2015年4月25日土曜日
定点観測 in 吉隆坡
犬の娘bと徘徊、お洗濯完了。
お掃除はさぼった。
今週は お出掛け2回以外
ズーッと 画面とプリントで
大量の数字を睨めっこして
あっちに貼ったり こっちに貼ったり
とても 愉しい仕事さ。
服田洋一郎の訃報 あのギターとボーカルは
記憶の中でしか聞けない。合掌
昨夜は中華鍋でナポリタン、半熟目玉焼き
噛めて嬉しい
2015年4月21日火曜日
食べる事を放棄してはならない!
入れ歯の噛み合わせが 微妙に あわなくなった。
上の入れ歯と下の入れ歯 右半分が完璧に噛みあわない。
では 左半分はと言うと 下に残ったインプラントのおかげで
噛む時に隙間ができるので 噛み切れない。
結局 何も噛めない状態で一週間を過ごしている。
この数日は 御飯を炊き 野菜と挽肉のスープをブッカケて 食べている。
今日は 綺麗に米の花が咲いた 中国粥だ。
今までずっと 自分で料理して 生きて来た。
今更 食べる事 料理する事は 放棄できない。
でも 噛みたいよね 好きな いろんな ところをね。
2015年4月19日日曜日
「血を越えて愛しあえたら」から 「花の都ペシャワール」へ そして
勇造掲示板への
東林間「イーサン食堂」中村さんの書き込みで
「センシミーナ」を出した頃の
佐野元春と勇造のラジオを三十年振り位に聴いた。
佐野元春は 論客だ。
豊田は 淡々と語る。
「さあもういっぺん」「走れアルマジロ」と続いた
発見の会との共同体
辿り着きたかったのは「味覚革命論序説」では無いかもしれない。
「血を越えて愛しあえたら」のアルバム・ジャケットは上野天鼓さんだった。
今のCDのジャケットは 吉田ルイ子さん。
LPのインナージャケットにある 一枚。
天鼓さんの写真は 緊張を生み
ルイ子さんの写真は 少し ほっとする。
で その頃 アタフタしながら
国立マース・スタジオで この唄を 何回も 何回も聴いた。
どうしてなのか わからないが
アジアの片隅で生きている
好きだな この唄
花の都ペシャワール
https://www.youtube.com/watch?v=3sDePdPVamc
東林間「イーサン食堂」中村さんの書き込みで
「センシミーナ」を出した頃の
佐野元春と勇造のラジオを三十年振り位に聴いた。
佐野元春は 論客だ。
豊田は 淡々と語る。
「さあもういっぺん」「走れアルマジロ」と続いた
発見の会との共同体
辿り着きたかったのは「味覚革命論序説」では無いかもしれない。
「血を越えて愛しあえたら」のアルバム・ジャケットは上野天鼓さんだった。
今のCDのジャケットは 吉田ルイ子さん。
LPのインナージャケットにある 一枚。
天鼓さんの写真は 緊張を生み
ルイ子さんの写真は 少し ほっとする。
で その頃 アタフタしながら
国立マース・スタジオで この唄を 何回も 何回も聴いた。
どうしてなのか わからないが
アジアの片隅で生きている
好きだな この唄
花の都ペシャワール
https://www.youtube.com/watch?v=3sDePdPVamc
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