2015年8月25日火曜日

個と個 個と集団 集団の中の個

さっき 訃報が 舎弟から知らされた。
 
その人は 数年前 ビジネス上
所属する集団の一人として
我々を苦しめた人だ。
この集団は 個の意志を認めない
連赤やオームの様な集団だ。
彼は 休暇で行ったスキューバダイビングで亡くなった。
 
舎弟の話だと 数週間前に
彼からメールが届き
俺達の後に介入した集団の対応と比較して
俺と舎弟の 個が持つ 技術と執念深さが
正しかったと伝えていたそうな。
 
俺は 個が持つ言葉を発せさせない集団を認めない。
俺が営利的な集団に所属しているにもしてもだ。
また どうしたら 個が持つ言葉を 集団の言葉として伝えるか
集団内部に納得させるだけの行動をする。
個の我儘では無く 独裁者でも無く。
そして 俺がした事に責があれば その責の償いはする。
所属する集団に 金銭的に迷惑を掛けたら
個で借金をしてでも 穴埋めをする。
集団の中で 我慢を強いられても 感情を押しこらえて
打破する事を チョットずつ チョットずつ 押し戻していく。
さて それは集団の中の個の話だ。
 
情けないのは 独りの個として
特別な感情をもつ個と対峙していると
ビジネスの様な我慢強さが無くなる事だ。
ビジネスじゃないから 個の 我儘はむき出しになる。
最少の集団なのにさ。
 
そんな事を考え 
故人が 最後のスキューバダイビングを楽しんだであろうと献杯
安らかに海と眠ってください 合掌。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月23日日曜日

旅の途中 世間では

バンコクで二晩 ヘラヘラと呑んだくれ
シェムリアップに移動する朝
有山じゅんじが 喉頭癌で治療に専念した事を知った。
勇造に伝えると 
ポカーンと険しさが混ざった 複雑な表情をしていた。
二人でソファに並んで座り 他愛のない話をした。
 
愉しかった 「杜の村」ライブの余韻を弄びながら
戻ったホテル ロビーにあるテレビで BBCのニュース
何処かで爆弾テロが 中近東かな?
えっ えっ バンコクっ?!
そこは ぶらぶらした事がある繁華街だけど 廟もある。
部屋に戻り 皆が呑みに来る前に
バンコクの友人に電話する。
彼らは 無事だった。
 
日本では「集団的自衛権」と言う 九条を蔑ろにする暴挙に
NO! の動きが拡大している。
 
ISの動きは 世界各地に展開している。
 
さて 平和とは?
 
カンボジアで クメール語の平和 「サンタピアップ」
一般的には この言葉は使用される事が無く
使っても カンボジアの人達には 理解出来ない言葉だと聞いた。
 
「平和」と言う言葉すら壊滅した時間をくぐり抜けたカンボジアの人達。
 
たった一言であらわせる言葉があり
たった一言であらわせない現実がある。
 
滲みが拡がらない様に 目覚めよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月22日土曜日

YUZO LIVE at VILLAGE of FOREST

少しづつ 陽が陰り始めた 杜の村では
バリバリのPAと格闘するリハと
PAなんぞ無関係なリハが。
 東南亜細亜特有の スコールを呼ぶ荒ぶる風が吹き始め
遠くでは 雨雲が動き始める。
が 雨は降らず 風も止み そしてライブが ユックリと始まった。
村の子供達が唄ってくれる日本の唄
日本から来た中高年合唱隊が「カエルの唄」「ゾウさん」
私は 日本から来たわけではないので カメラマンに徹する。
裸足の唄歌い
私はこの裸足が好きだ。
勇造が唄い 「杜の村」の森本さんがクメール語に訳す。
 
 
 
 
愉しむのに 共通の言語が要ら無い時もある。
そういう時を具現できる男達や女達が居る。
 
床では すぐ裸足になる 鈴木さんのサンダル
どれだけ 土地に沁み込んでるのか
 
開墾から始め 20年掛けて
桑栽培、蚕、製糸、染色、機織りを
杜の村で行う生活。
カンチが唄った「インターナショナル」に喜んでいた森本さん。
写真を撮ってる彼の姿は
150人の村人と共に 静かにコブシを挙げている様に見えてしまう。
 
何処か落ち着ける所を探そうと思った
カンボジアの夜。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年8月20日木曜日

杜の村 絹を紡ぐ人達

ゴト ゴト 車に揺られながら 杜の村
そこでは 村人たちが 絹を紡いでいると言う。
 
ゴト ゴトと 小さな幹線道路から 右に右折。
舗装されてない道を ガタガタ ゴトゴト。
 
 
 
 
 
 
これは三連踏み 見事!
 
 
                                                     赤土の向こうに Big Pink!
 

天然コケッコーな朝@Siem Reap

鶏の鳴き声で目が覚めてみると
僕はベッドの すのこの上で寝ていた。
薄暗い部屋の中 彼女はタイルの床で まだ寝ている。

3,4年振りに彼女に会って 皆とホテルの部屋で呑んだ後
彼女の小さい懐中電灯 まるで蛍の明かりだけを頼りに
真っ暗な闇を歩いて 彼女のアパートに行ったんだ。
夜道を振り返ると たった500m位先に Siem Reap繁華街だけ
まるで 不夜城の様に燃えさかる灯りが見えた。
一寸先は明るいのに 僕らが歩いている道は 暗闇。
でもね その暗闇は 人の温もりに満ちている。

部屋の水場 溜め置きの水甕でマンディーをして、
白み始めた 外に出ると
大家のオババが オープンエアーの炊事場を掃き掃除している。
中庭の井戸には 水を汲みに来て マンディーをする子供や大人。

起き出した彼女と近くの御粥屋へ
早すぎて 御粥は未だ出来ていない。
珈琲と紅茶を飲み、御粥を待ちながら とりとめの無い話をした。

ホテルに二人で 戻る途中でセカンド・ラインに出会った。
長い 長い ラインが ロータリーを回りながら 焼き場に向かって行く。
連れて行ってくれないか あっちまで。

鶏の鳴き声で目が覚めると
僕は タイルの床の上で寝ていた。
薄暗い部屋の中 彼女はベッドの すのこの上で まだ寝ている。

遺跡巡りの後 森本さんの森の村に行って 
皆でホテルの部屋で呑んだ後
再び 彼女のアパートに行ったんだ。
夜道の途中 彼女の友達が バイクで通り掛かって
3ケツで アパートへ。
森本さんの森の村で 彼女が言う
「2006年 染色をしてて 森本さんに会いに此処に来たんだよ。
それが此処にいる始まり。」

マンディーをして 起き出した彼女と
オババを眺めながら とりとめの無い話をする。
オババは 掃き掃除の後 ハンモックを吊り 寝具合を確かめている。
中庭では 鶏が何かをついばみ 井戸では子供が水を汲んでいる。

昨日とは違う道筋で ホテルに二人で帰る。
その筋は 昨日のセカンド・ラインが着いたであろう
お寺と焼き場があった。

幾つかの遺跡巡りをして 僕らは 空港へ。
空港内に入る通路で
「あたしは この先に入れないから ここでね じゃ また!」
皆と先が明るい通路を空港内に進みながら
振り返ると 通路の先 暗闇の戸口で手を振りながら
佇む彼女が居た。





2015年8月1日土曜日

定点観測 in 吉隆坡

朝の徘徊、お洗濯、お掃除は ワイパーだけで手抜き。
体調も戻り 朝5時には 起きられるようになった。
 
普段 仕事帰りに お友達と呑み行ったり、
ライブに行ったり、展覧会を見に行ったり等々
イベントが全く無い生活。
 
そんな私にも 一年に一度 イベントらしき事がある。
後2週間すると バンコク・カンボジア旅行だ。
 
今年は 4年振りに カンボジアのS木真由美さんに逢うのだ!
 
S木真由美さんと呑む事を想いながら 2週間を過ごす事にしよう。
 
 
 
 

2015年7月26日日曜日

僕と大原さんが抱える たった一つの問題

僕と大原さんは この数か月 悩み続けている。
顔を合わす度に 同じ会話を繰り返している。
僕達 二人にとって 死活問題なのだ。
 
大原さんは この国で
僕を生かしてくれている 唯一の人 愛する人だ。
 
僕達の問題は 数か月前に発生した。
僕は 大原さんとの関係性を 壊したくないので
最初は 大原さんに 何も言わなかった。
そんな事って あるよね。
愛しあってるし。
 
が 二度目は 無しだ。
 
そもそも 大原さんとお付き合いし始めたのは
大原さんが提供してくれる物が 
チャンと冷暗所で管理されていたからだ。
 
その頃 黄色い「命の水」を呑むのが 嫌になっていた。
大原さんが 持って来てくれる「命の水」は 黄色くなかった。
 
僕が気に入って 頼んでいた「富山湾深層水仕込 G盤」2L紙パック
数か月前 黄色になったのだ。
二度目に大原さんに その事告げると
大原さんは 次の時に 
「確認しました。この時の入荷は全部駄目です。
ただ こんな事をされる所とは お付き合いできないので
新たな所 探します。」
 
で 現在 僕達の選択肢は 二つしか無い
1. 僕が一升瓶が六本以上入る セラーを購入する
2.僕達が納得できる2L紙パックの「命の水」を探し出す
 
さて 大原さんは 現在 6箱 540RMだったのを在庫消化の為に
420RMで提供してくれている。
これじゃ 僕は只のクレーマーになってしまう。
 
 
が 僕達は 2週間毎に 短い逢瀬をし
今日も 二人で 溜息をついている。