2017年5月21日日曜日

燻蒸室立て籠もり事件を語るブルーズ

あの法律が出来てから 
俺の様な迷惑な人間が暫しの安息を取れる場所なぞありゃしね~。
で もっと もっと 酷い事になっちまった。
それは すべて あの事件がキッカケだったんだよ。

屋根が掛かっている公共の場所
公共の閉鎖空間建物 オープンエアの公共の場所
何処に行っても 公共の場所さ。

で 安息の場所は 何処かにありませんかと街をウロツキ廻ったんだ。
と或る 街外れの路上に ポツンと佇む
迷惑人間専用のブースが あったのさ。

居るよ 居るよ 同志達が
狭いブースに肩を寄せ合って
九重ドアのその向こう 真っ白な雲海で
同志の顔なんか 見えやしなかったんだ。

そんな中に 俺も仲間入り
「この街は まだましさ あそこにも もう一つあるよ」って
同志の誰かが 囁いた 蚊の鳴くような声で。
「どうして こんな身体に生まれてしまったんでしょうか」
また 同志の誰かが 嘆く 朝露の雫が落ちる様な声で。
「いっそ 地下に潜りましょうか」
と また誰か。

その時だったんだ 俺はまだ 火も点けていなかったんだよ。
「そこで 謀議を図っている不敬の物どもに告ぐ
共謀罪で 逮捕する!
その箱から 速やかに退去し お縄に掛かるんだ」
雲海の向こうに微かに見える盾と菊をあしらった安全帽が。

なるほど なるほど 逮捕されるんなら
持ってるブツを全て 身体に ブチ込もうと
同志達の吸引活動が 激化したんだよ。

「もう一つ お前たちに告ぐ
その箱から出る時に 一塵たりとも 雲海を漏らすな!
漏らしたら もう一つの罪も 漏れなく加算される。」
雲海の向こうに見える 方々は オールインワンの防護服
ガスマスクまで 付けていた。

なるほど なるほど もう一つの罪
矯正施設に送られる
で もっと もっと 吸引活動が 激化した。

で この迷惑人間のこのブース
まるで 紫の峡谷さ。

「迷惑な物共に告ぐ!
我々 迷惑じゃない人間は そこに入っていく事は出来ない!
一列になって 九重の扉から 速やかに 出てくるのだ。」

なるほど なるほど 分かったぜ
俺たちゃ 不可侵生物だ。
それから 長い日々が過ぎ
外の同志達の差し入れにゃ ほんと感謝したんだよ。
ブースの中は 燻蒸室で 立て籠もる 俺達は
燻されて まるで 渋い燻製色だ。

「そこに立て籠もる ヒジョーに迷惑な物に告ぐ!
そこは コンクリートで石棺とすると首相が内々に言った。
文書は無いが 覚悟せよ!」

もう 外は雲海で見えないが
なんか ミキサー車が ウジャウジャ 集まってるみたい。
ブースを囲う様に 鉄筋が組まれ
型枠がはられ コンクリが流される その時
ブースが 破裂したんだ~。

ある晴れた日に また会いましょうね。






 

2017年5月16日火曜日

See You Again My Beloved 舎弟!

今晩は 最愛の舎弟の帰任送別会だった。

この舎弟と出合ったのは いつだったか覚えていない。
気が付いたら 面白おかしく 一緒に仕事をしていた。

舎弟 帰任のスピーチ
「英国から日本に帰って 馬来西亞赴任にして7年半。
自ら望んで 此処に来たのは 17,8年前に出会った
このオヤジとまた仕事で遊びたかったらでした。以上。」

俺か?

ゴメンネ
赴任三日後に フィリッピンに行くぞ!とか
17,8年前の臺灣では 椎茸嫌いのキミに
椎茸焼き テンコ盛りを頼んだり
台南から新竹までの 10時間バス移動
マニラ空港 ゲートで椅子が空いてなくて
床に寝転んで いろんな話をしたね。

酒が呑めないキミはラガーマンだから
ヤカンから水を与えると 仕事を遊ぶ。
俺は 命の水をブチ込んで 仕事を遊ぶ。


俺が生きてたら また会おうねって
ハグして別れた。

 






2017年5月15日月曜日

大使館からメールが届く

 
海外にお住まいの方で,日本の年金制度に加入したことがある方への御案内
「年金受給資格期間の短縮について」
マレーシアにお住まいの皆様へ
在マレーシア日本国大使館 
平成29年8月より,年金を受け取るために必要な資格期間が25年から
10年に短縮されます。
詳細は,下記URL(日本年金機構HP)をご参照いただき、日本年金機構へ
お尋ねください。
Information for the persons living outside Japan who have been covered under the Japanese pension system From August 2017, you may be eligible for Japanese old age pension if you have 10 years or more of valid coverage periods, instead of 25 years.
For more information, please visit the following website (Japan Pension Service).」
 
ワタシは こういった事にまったく無知だ。
十数年前 会社を移る時に
厚生年金は 会社が払っているのだと思っていたが
社員と会社の折半だったのだと。
働いて二十数年も経って 初めて知った。
なるほど なるほど。
 
さて 大使館のメールだが
何を伝えたいのか 理解できなかった。
平成29年?
資格期間25年から10年に短縮?
意味不明だ。
 
英文を読んでから 理解した。
つまり 今年から 年金の積み立て年数が25年から10年に短縮され
10年でも 年金を手に入れられるとの事だ。
 
それは つまり
おバカなワタシが たった20万円欲しさに
勝手に財形貯蓄を2年で解約して
会社のお偉いさんから コンコンと説教された事が
公に許されるみたいなもんだな。
 
ヤレヤレ。
 

 
 

2017年5月10日水曜日

Eric Meal Timeに魅せられて

今年になってから 無性に日本の食べ物を食べたくなっている。
それは 定食屋でだったり 立ち食い蕎麦屋だったり
気取らない洋食屋 立ち食い鮨(回転ずしも可) 等々。

25年も経って そろそろホームシックになっているのかもしれない。

で You Tubeで Eric Meal Time をよく見ている。
Ericさんが 日本で御飯を食べる画像だ。

推定年齢同年代のEricさんは
定食屋や 社員食堂 回転鮨 等々
彼曰く リーズナブルで 美味しい店に行く。

いいな~ 俺だって 食べたい!

Ericさん 何年 日本に居るのだろうか?
英語は 分かり易いが 端々の言葉や仕草は USA出身の様だ。

もう 日本で ごく普通のお店で 御飯を食べたいのだ。

で 俺は なんで Ericさんの画像を観て
浦島太郎状態で 日本の御飯を渇望しているのだろうか?




2017年4月30日日曜日

スケッチ・オブ・ミャーク@my house theater

ミャーク。
宮古の源語発声だ。

ドキュメンタリー「スケッチ・オブ・ミャーク」
監督は 「とどかずの町で」の大西功一
原案は 久保田麻琴

働く時に唄う唄
過酷な人頭税を収め終り 
収穫を祝い 唄い 踊る 祭り。
女性だけが唄う 御嶽での秘事。

唄う事で 神(先祖)との 交流し
過去を敬い 現在を知り 良き未来を願う。

胸の前で 手のひらを上にし
指を曲げながら 自分に 指先を向ける。
唄と共に 腕は水平を保ちながら 頭に
そして 指は頭に向けられる。

同様な 祈りの行為は イスラム教にもある。

自然の中に 存在する 神々に対し
手のひらを上に向け 自分をさらけ出し
神々を 自分に呼び込むのか?

高齢の長崎トヨさん 船に 飛行機に乗り
やって来た東京では 車椅子に乗られていた。
草月ホールの 詠いでは
椅子から立ち上がり サンバンを鳴らし 唄い 踊られた。

笑いながら 涙してしまった。

I envy these old of Myahk.
They don't have to worry abouto the corrupt world outside,
they have such a complete and happy little scene.
I could be wrong, but look at their faces and listen to the wicked funk music!
Tt's a good place to be, or I'll eat my hat on stage.
by Ry Cooder








2017年4月29日土曜日

MY HOUSE @ myhouse

ずっと前から 観たかった
堤幸彦「MY HOUSE」を観た。

俺が 収入も無いが 生活の不安も無い頃
たかだか 40年位前 うろついていた街がある。
首都高のガード下 ちょっと離れると幾つかの公園がある。

朝の高架下 同じ様な年代の男が
片手に段ボールを抱えて歩いている。

公園でベンチに座れば とある信仰のオバちゃんが話しかける。
で トイレに行けば オッチャンが 話しかけてくる。
「元気ね~な。元気にしてやるか?」

このモノクロの映画からは
個人が街に潜み 過ごす事
場所から 他人を排除してはイケナイ
で 僕らは どうするのか?と問いかけている。


2017年4月27日木曜日

プガジャと村元さんに魅せらて

十代から二十代 それは 1970年代だった。

東京近辺の書店では 置いていない「フォークリポート」を
青山の同潤会アパートで入手したのは 十代前半だ。

で 「プレイガイドジャーナルよ 1971~1985」村元武著 読了。

大阪に「プガジャ」がある事を知ったのは いつなのか 記憶にない。
それは いしいひさいちのバイトくんなのか 中島らもなのか。
ただ 俺がリアルに入手したのは
プガジャマガジン「糸川耀史写真集 グッバイ・ディランII」
「フォークリポートわいせつ事件 満巻 & 珍巻」だ。

フォークリポートから 端を発し
「思想の科学」「ワンダーランドto ペーパーバック版宝島」と読み続け
「プガジャ」に辿り着けたかったが 辿り着けなかった。
「ぴあ」とは違う情報誌。

ニューヨークから 帰って来た勇造が 久し振りにレコーディングをした。
俺は 毎日 国立のマーススタジオに行った。

出来たのは カセットブック「センシミーナ」
プガジャの製作 販売だ。
エルトローボのLPと違い
ライナーノートは その時の今と 次への柔らかい希望だ。
こんな所に 村元さんの気持ちを感じる。

何十年も経って 俺は 偶々 日本 大阪に出張し
江坂のビレッジプレスの事務所(天牛ビル?)に
勇造のCDと金森コウスケのCDを入手に訪ねる。
まるで 10代前半 同潤会アパートに行ったように。

初めて 村元さんにお会いした。