2019年8月30日金曜日

タイ~ミャンマー ポンコツツァー 2日目ライブ前


タイトルのポンコツは オレだけです。
ポンコツなのに朝6時前に起床。


片山さんは 総重量6kgの一眼カメラとレンズを担いで
単独徘徊に 出ていかれた。イッテラッシャイ~♬
オレは いつもの様に 直ちゃん、千晴ちゃんと徘徊。
Si Ya Junction手前の市場に行ったのだが 早過ぎたのか
数件しか 店が開いていないのだが 周囲の路上屋台は賑やかだった。
市場近くのPayap 船着き場に チャオプラヤ河を見に行く。
通勤の足に使われているので 
まるで通勤電車に駆け込み乗車する日本人の様に
脱兎のごとく走り 船に飛び乗るタイ人女性を見たのだよ!


朝食後 再び 直ちゃん、千晴ちゃんと 
近所のThe Museum of Floral Cultureへ。
なんかのイベントで 今日は閉館と張り紙があったけど
駄目元で あいてる門から失礼しますよと 入館すると
イベントはまだだからとガイドツアーしてもらった。親切な人だ。
フムフム ナルホドと説明を聞き 館内を一周して
Da Cafe’ at Baan Ongkharak でお茶をし ドリップ珈琲を購入。




オレの思惑通り アルコールが購入できる 11時となった。
ラム酒 Sang Somを購入。
宿に戻り 遅い昼食を食べ ライブ前のお出かけだ。
合流するはずのワッキーが まだ来ない。
出発時間前に オレの携帯にワッキーから着信があり
なんか手違いがあって 近くまで歩いているが 時間に間に合わなければ
待たずに 先に行っててくれとの事。
車に乗り込んで 動き出したところで
措いてくよと電話をすると 5分位のトコまで来ている様なので
待ってあげる事にした。なんて親切なんだろう オレ達は。
ボートでチャオプラヤ河を遡上したが 
近所のKheaw Khai Ka Pierに停船せず
もう一つ先の船着き場で降りたそうな 朝の船着き場の光景を思い出す。
いつもの様に オーガニック食料品店Lemon Farm
オレはいつも何にも買わずに 外で有機栽培煙草をモクモクしているのだが
今回は 食パンとチューブ入り蜂蜜を購入した。
昼に買ったドリップ珈琲とで 明朝は ステキな朝食になるだろうね!

2019年8月29日木曜日

タイ~ミャンマー ポンコツ ツァー 1日目


サワディタイランド2019に参加した。
今年は YUZO Live in Bangkok の後
ミャンマー マンダレーで一泊し ニャウンシュエに2泊して
インレー湖を巡る旅だ。
タイトルのポンコツは オレだけの事です。

今年ポンコツになったオレにとっての懸念は
2度も乗る ボートだった。
タダでさえ 1mmも泳げないオレにとって ボートが嫌いなのだ。
このポンコツの脚で ボートに乗ったり 降りたりできるのだろうか?
ネガティブな事は 無い事にして ポジティブ思考で旅をする事に
ナマコ・クリームを手土産にAirAsia DMK行きに乗り込んだ。

毎年 同室のワッキーが バンコクライブ単独参加で 旅には 同行しない。
今回の旅の 音も達は、
けい子ちゃん、直ちゃん、ムラセさん、千晴ちゃんの例年のメンバーと
初めて お会いする キヨコさん、片山さんが参加する。
片山さんが オレの同室者となる。

DMKで イミグレの長蛇の2列先に ワッキーを発見の会!
一週間ぶりに ヒバリちゃん、勇造と再会しビールを呑みながら 皆を待つ。
ポンコツな手指では プルトップが開けられないので勇造が 開けてくれた。
先日KLのオレ宅で 断捨離をしてくれたし なんて親切な人だ。

今回バンコク2泊は 一棟借りした24 Samsen Heritage Guest Houseだ。
庭が広く 素敵な 居間で 呑みながら お話をして
夜闇に抱かれて 眠った。


2019年8月25日日曜日

ワタシの足を見る

4月から ポンコツになったワタシは 満足に歩けなかった。
足裏や 足の指が 踏みしめて 歩く感覚を脳に伝えてこないのだ。
ワタシは 歩いてる  ワタシは 立っている
ワタシは 階段を上がってる 下がってる
感覚が無いので 足が本来する行為が怖いのだった。
歩かなきゃ 何処にも行けやしないのにさ。

ペットボトルのキャップすら開けられない手の不自由さよりも
足と膝の無感覚は 恐怖だった。

ワタシの足の表層は 黒ずみ 足指が開かないのだ。
室内履きの雪駄 親指と人差し指を入れる事が出来ず
親指と中指を入れてしまうのだ。
不自由だが 雪駄を穿く事に 何の問題も無いのだ?

元々 左足は 不自由だったんだ。
幼少のみぎり 夕餉にはしゃいで 熱い味噌汁の鍋に左足を入れたのだ。
父は 味噌汁が穢されたと怒り 母は落ち着きの無い子供と眉をしかめた。
そして 左足には 軽度の火傷のシワが残り 一緒に過ごす事になった。

さて あれから四ヵ月が経ち 音も達と旅に出た。
いつもの様に 朝の徘徊をした。
市場をホッツキ歩き 彼是と。
そして 御飯を食べた。

ナニカ確かな身体が 戻ってきている。

そんな 足と足指に ありがとうと言おう!
まだ 左の足指は 開かないけどね。










2019年8月11日日曜日

ゾミアとパレオアジアとブミプトラもしくはオラン・アスリー

さて 最近ゾミアとパレオアジアを知った。
ゾミアの概念は J.C.Scottが2009年の自著
「The Art of Not Being Governed:
An Anarchist History of Upland Southeast Asia」で展開した
アジア山岳民族は 正しい無政府主義者集団との主張だ。
国や文明を拒否した 民族集団と規定した。
フムフム。

パレオアジアと言う概念は2017年に
モロッコの遺跡で30万年前の現生人類の化石が発見された事に伴なって
アフリカ大陸で発生した新人(ホモサピエンス)が
旧人(ネアンデルタール)と接触しつつ
アフリカから拡散した新人集団が アジアで どんな接触をし
どんな継承をしてきたかを文化人類学的、民俗学的に検証する試みだ。
フムフム。

北アジアの民族集団 が大陸部では 南と東に移動する傾向があると
オレは考えている。
一方で ポリネシアンは 北と西に移動する傾向で
接触しながら 融合をした 多数民族がマラユだ。

インドネシア、ボルネオ(カリマンタン)、スマトラから
移動したマラユは オラン・アスリーを森林に押し込みながら
森林と海が隣接した領域を我物にしたのが マラユだ。
何もしなくても バナナやらが 
海では 魚が手掴みで
鶏も その辺を歩いている。
農耕民族や狩猟民族とは 違う 労働をしなくても
そこにある物で生活が出来る。

さてと この国の政策で「ブミプトラ(土地の子)」がある。
申し訳の様にオラン・アスリーを加えている
地元民優遇政策だ。
いろんな国でも いまだに人種優遇政策を取っている国がある。
その政策は強者が弱者をイジメる政策だ。
がっ ブミプトラは違う
ぼくら働かんけど 他の民族が働いて 税金を納め
ぼくらを食べさせてねっと。
だって 勤勉や労働が 好きじゃないねんと。

持てる者は 持てない者に何を分け与えるのか?
持てない者は 持てる者になにを分け与えるのか?
微笑か?

もう少しだけ ゾミアとパレオアジアを読み解こう。














2019年8月9日金曜日

旅に棲む

Yさんの断捨離で 発見された2000年-2010年のオレのパスポート。
このパスポートをずっと さがしていたのだ。

1990年代の活発だった日系企業のマレーシア進出や
増設計画はこの頃は冷え込んでいて
本社のアジア拠点も 中途半端だったので
今までのマレーシアのお客さんのアジア進出に付いて行った。

この旅券は ビザやスタンプの押す頁が無くなり
増補したが 空白は 10頁位しか 残っていない。

マレーシアのワークパーピットビザ6頁
中華人民共和国ビザ5頁
中華民国3頁
インドネシア 5頁

この旅券で 出入国した国のスタンプは
中国、香港、台湾、ヴェトナム、フィリッピン、インドネシア、タイ、シンガポール
福岡、千歳、成田、名古屋、関空。

で この旅券の最後の出入国スタンプ
2009年6月5日に関空で入国
同年6月8日に関空で出国していた。














2019年7月18日木曜日

この世に生きて 62年


さてと 京都から埼玉県大宮市に移動した。
凄いね 新幹線をうまく乗り継いで 3時間弱で着いてしまう。
ほんと 速いね 時の過ぎるのは。
大宮倉庫番の娘と 大宮駅で落ち合い
昼飯の刺身と寿司 酒を購入。
大宮倉庫番の娘が スマフォをピタパッとして 購入してくれた。
なんか よく分からんが 素晴らしい こんな世の中なんだ 日本は。

別所の父母の家を 数年振りに訪ねる。
この家を離れて 42 日本を離れて 28年。
ほんと 速いね 時の過ぎるのは。

オレと父は 酒を呑みながら モクモクし
仕事関係の出会いについて 大声で喋る。
ほんと 世間は狭いのだ。
さて 父は しんせいとハイライトのチェ―ンスモーカーだ。
子供だった頃 オレの家の中は 紫煙の中だったものだ。
気づいた 父が吸っているのは ハイライト・メンソールだった。
が チェーンスモークなのだ 肺気腫なのに。

母は 数年前の手術で 視力が回復したが 腰が痛いので歩かない。
父も 長く歩けないので この夫婦の生活圏は 200m以内だ。

父が問う「お前は 今回 なんで日本に来たんだ?」
「豊田勇造の70歳のコンサートがあったんだよ」
「まだ 歌ってるのか?」
母が 言う「10年前も あったね 新聞の切り抜き送ったよね」と
父は 聞こえていないのか 答えない。

子供の頃の様に 煙の部屋で 過ごし
オレは 成田行きのバスに乗る為に 移動した。
そして 気づいた オレは 今回 初めて 母から 御小遣いを貰わなかった。

この世に生まれて62
オレは 父母から 自立した。