2010年12月23日木曜日

音楽(音盤)にまつわる親戚の話

一人は、父方の札幌の叔父。下戸でした。
年長の親戚誰もに「あんな大人になっちゃイケないよ」と言われた。
多趣味で亡くなるまで、夢みる少年だっただけなのだけどね。
初版本を保存用と読了用に2冊買う様な人だ。
この叔父の家には、Folkways Records他民族音楽の音盤があった。
50、60年代に採取されたルーツ・ミュージックの音源があった。
二十歳位の時に、叔父に「貸してくれない?」と聞いたら、
「駄目だ。傷つけられるから ここで聴いて帰れ。」と言われちまった。
こちらが働いてからは、縁遠くなってしまい、10年前に叔父は亡くなった。
あの音盤達は、今 何処にあるのだろうか?

もう一人は、母方の同い年、同学年の従兄。こちらも下戸でした。
叔父と同じで夢見る少年の儘、22歳で亡くなった。
3月生まれなのに、可哀そうだからと4月2日生まれに。
地元の有名高校への受験に失敗し、
可哀そうだからと某私大付属高校に入学、高校から上京してきた。
叔父・叔母から「近いから 面倒見てね」と言われた。
ほんとは、一か月年上なのに弟みたいな奴だった。
まぁ 金持ちのボンボンですわ。

細野ティン・パン系、大瀧ナイアガラ系、関西オレンジ・レコード系
ルーツ・ミュージック系(輸入盤)をどっさり買い込んでいた。
叔父と違い 奴は音盤を貸してくれたし、勝手に録音までしてくれた。
売るあての無かった「さあもういっぺん」を1枚買ってくれた。
が 奴のツボを少し外したのか ライブに誘っても来なかった。
風太みたいに センチのローディーになりたいと言っていた。
最期の数カ月 築地のがんセンターに入院していたのだが、
歩けた頃は 銀座のヤマハまで音盤漁りに抜け出していた。

供養だからと遺品の音盤を5枚程頂戴した。(10枚イヤ20枚かも?)
奴が愛聴した1310師匠「鼻唄とお月さん」は、気が引けて頂戴できなかった。
奴の持っていた音盤は、今も従妹の所にある。


で、夢見る少年のまま 生きてく事にしましょうね!

大根と豆腐

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