2019年8月11日日曜日

ゾミアとパレオアジアとブミプトラもしくはオラン・アスリー

さて 最近ゾミアとパレオアジアを知った。
ゾミアの概念は J.C.Scottが2009年の自著
「The Art of Not Being Governed:
An Anarchist History of Upland Southeast Asia」で展開した
アジア山岳民族は 正しい無政府主義者集団との主張だ。
国や文明を拒否した 民族集団と規定した。
フムフム。

パレオアジアと言う概念は2017年に
モロッコの遺跡で30万年前の現生人類の化石が発見された事に伴なって
アフリカ大陸で発生した新人(ホモサピエンス)が
旧人(ネアンデルタール)と接触しつつ
アフリカから拡散した新人集団が アジアで どんな接触をし
どんな継承をしてきたかを文化人類学的、民俗学的に検証する試みだ。
フムフム。

北アジアの民族集団 が大陸部では 南と東に移動する傾向があると
オレは考えている。
一方で ポリネシアンは 北と西に移動する傾向で
接触しながら 融合をした 多数民族がマラユだ。

インドネシア、ボルネオ(カリマンタン)、スマトラから
移動したマラユは オラン・アスリーを森林に押し込みながら
森林と海が隣接した領域を我物にしたのが マラユだ。
何もしなくても バナナやらが 
海では 魚が手掴みで
鶏も その辺を歩いている。
農耕民族や狩猟民族とは 違う 労働をしなくても
そこにある物で生活が出来る。

さてと この国の政策で「ブミプトラ(土地の子)」がある。
申し訳の様にオラン・アスリーを加えている
地元民優遇政策だ。
いろんな国でも いまだに人種優遇政策を取っている国がある。
その政策は強者が弱者をイジメる政策だ。
がっ ブミプトラは違う
ぼくら働かんけど 他の民族が働いて 税金を納め
ぼくらを食べさせてねっと。
だって 勤勉や労働が 好きじゃないねんと。

持てる者は 持てない者に何を分け与えるのか?
持てない者は 持てる者になにを分け与えるのか?
微笑か?

もう少しだけ ゾミアとパレオアジアを読み解こう。














2019年8月9日金曜日

旅に棲む

Yさんの断捨離で 発見された2000年-2010年のオレのパスポート。
このパスポートをずっと さがしていたのだ。

1990年代の活発だった日系企業のマレーシア進出や
増設計画はこの頃は冷え込んでいて
本社のアジア拠点も 中途半端だったので
今までのマレーシアのお客さんのアジア進出に付いて行った。

この旅券は ビザやスタンプの押す頁が無くなり
増補したが 空白は 10頁位しか 残っていない。

マレーシアのワークパーピットビザ6頁
中華人民共和国ビザ5頁
中華民国3頁
インドネシア 5頁

この旅券で 出入国した国のスタンプは
中国、香港、台湾、ヴェトナム、フィリッピン、インドネシア、タイ、シンガポール
福岡、千歳、成田、名古屋、関空。

で この旅券の最後の出入国スタンプ
2009年6月5日に関空で入国
同年6月8日に関空で出国していた。














2019年7月18日木曜日

この世に生きて 62年


さてと 京都から埼玉県大宮市に移動した。
凄いね 新幹線をうまく乗り継いで 3時間弱で着いてしまう。
ほんと 速いね 時の過ぎるのは。
大宮倉庫番の娘と 大宮駅で落ち合い
昼飯の刺身と寿司 酒を購入。
大宮倉庫番の娘が スマフォをピタパッとして 購入してくれた。
なんか よく分からんが 素晴らしい こんな世の中なんだ 日本は。

別所の父母の家を 数年振りに訪ねる。
この家を離れて 42 日本を離れて 28年。
ほんと 速いね 時の過ぎるのは。

オレと父は 酒を呑みながら モクモクし
仕事関係の出会いについて 大声で喋る。
ほんと 世間は狭いのだ。
さて 父は しんせいとハイライトのチェ―ンスモーカーだ。
子供だった頃 オレの家の中は 紫煙の中だったものだ。
気づいた 父が吸っているのは ハイライト・メンソールだった。
が チェーンスモークなのだ 肺気腫なのに。

母は 数年前の手術で 視力が回復したが 腰が痛いので歩かない。
父も 長く歩けないので この夫婦の生活圏は 200m以内だ。

父が問う「お前は 今回 なんで日本に来たんだ?」
「豊田勇造の70歳のコンサートがあったんだよ」
「まだ 歌ってるのか?」
母が 言う「10年前も あったね 新聞の切り抜き送ったよね」と
父は 聞こえていないのか 答えない。

子供の頃の様に 煙の部屋で 過ごし
オレは 成田行きのバスに乗る為に 移動した。
そして 気づいた オレは 今回 初めて 母から 御小遣いを貰わなかった。

この世に生まれて62
オレは 父母から 自立した。

2019年7月12日金曜日

壬生湯で産湯に浸かるツァー 2nd day B面


並んで待っていた 男や女達が  
ゾロゾロ 嬉しそーに 楽しそーに入って来る。
オレは 幾人かの仲間達と再会を果たしながら カンパ箱の守り人と化す。

MC坂本さんの前説 そして勇造を呼び込む
70 70 YUZO 晴れの円山音楽堂が始まった。
カンパ箱の守り人は 受付の椅子に座り
聞こえてくる音を ツマミにビールを呑む
そして時々 客席を徘徊し カンパ箱の守り人として  
音をツマミにビールを呑む。

オレは思い出した 37年前の「あるまじろ 6日間コンサート」の日々を
勇造ファンの仲間達と3年やったのだが
仲間達は 手弁当で手伝ってくれたので
オレが彼らに返してあげられるのは
開演中はライブを観て 楽しんでもらう事だけだった。
1Fの受付で オレは独り モニターの音をツマミに ビールを呑み
時々 売上金を持って 客席に行き 楽しんでる男や女達を見ていた。

そんな過去の追憶を 振り切る様に
ドーン ドーン ドーン ドーンと ライブは 何処までも走って行く。

いろんなとこで YUZO LIVEを主催する人達が居て 
ライブに来る人達がいて
いつだって みんな そうだろ
焼き上がり待つ 焼き物師みたいに ジッと ジッと
身をくねらせ このライブの焼き上がりを待ってる。

そして ポッカリと三日月が浮かび 
その場にいた男や女達の心に何かあったかいもんを
そっと そっと置いて ライブは夜に溶けた。


ふと気づくと 宿の中庭で
丼と馬鹿話をしている オレが居た。

本日の歩行数 6409歩。