2014年3月31日月曜日

私はオムライスを食べずに なぜ ナポリタンを食べたのか。其の二

私は自己批判しつつ 次なる闘争を推進した。

「インディアンオムライス 6個やね?」
「いや オムライス 5個に ナポリタン 1つ!」
参加者の驚愕の顔が 私に向けられる。

私は高揚感に包まれながら しかし決然と再度発言した。
「オムライス5個とナポリタン1つでお願いします」

暫し 参加者達の沈黙の中 オムライス5個とナポリタン1つが出てきた。
「ナポリタンは あんたやったね?チーズかけまっか?」
闘争の為には 何も足さない、何も引かない。
「チーズ要りません!」
「ほな タバスコ置いときますわ~」
4分の1程度残っている タバスコが置かれた。

嗚呼 私が タバスコを振り掛け、また振り掛け、
カラになっても振り続けたのは 激化する闘争の中 
血を流しながら倒れて行く同志の姿を幻視したからか。



卵の上のソースでユニオンジャックを描きながら某u
「某uもナポリタン食べた~い、オムライス分けっこせーへん!」

ボケとツッコミに生きる主義者の中で 
それが出来ない私に 同じツボを見出していた某r
「私のオムライスとも分けっこしようよ!キャベツも食べてね」



 

分けてもらったオムライスを食べ、
慟哭してしまったのは 闘争に疲弊していたからだろうか?

オムライス美味し~い~!
ナポリタンもふぉいし~い~!

食後の珈琲を某bが注文する中
更なる革命の深化を求めた私は

「珈琲5ツに ビール一本下さ~い!」

フムフム。

画像撮影はウロコです。勝手に拝借したのよ。

2014年3月30日日曜日

私はオムライスを食べずに なぜ ナポリタンを食べたのか。其の一

「オムライスを食べよう會?」結党大会は、
3月末の春の熱気に包まれながら始まった。

お食事メニューは 4品。
 

 

私は ジッとメニューを直視した。
そして 我々の運動は間違った方向に進んでいるのではないかと
深い絶望感が心の底から湧き上がって来た。
上から順に インディアンオムライス、ドライカレー、
ハムライス、ナポリタン掲載されたメニューに
特権階級的なヒエラルキーを見抜いたのは 私だけではないだろう?

ここで括目せよ!
ハムライスは、ハムの入ったピラフ。
ドライカレーは、ハムライスにカレー粉が加料されるのだろう。
そしてドライカレーを卵で包んだのが「インディアンオムライス」だ。
何かを足すと階級が上り、特権も上がっていく。
我々が革命的に打破すべき 特権階級の頂点が
「インディアンオムライス」である図式が浮き上がって来る。

今 我々が「インディアンオムライス」を食べたとしても
特権的階級を打破する事とは 同意では無い。
むしろ「インディアンオムライス」を断固拒否する事こそ
より鮮明に闘争を強化する事になるだろう。

ライスのヒエラルキーに寄り添わず
スパゲッティとして 最下層・値段で
独り戦い続ける スパゲッティ・ナポリタンにこそ
人民の有るべき姿が認められる。

2014年3月29日土曜日

「オムライス食べよう會?」結党大会前史

毎土曜日に休日出勤と称する昼食に 毎回同じ店で 同じ
「インディアンオムライス」を食べている某bが居る。
この勇気ある革命的行為に 我々指導部は賞賛と支援を送り
その行動が永久に継続する事を渇望した。

が 時々 休日出勤をサボる某bの反革命的行為に
我々指導部は 激しく憤り、自己批判を求めた。
この様な個人的理由によって 運動から脱落しかねない
bに 今後も活動を永久継続させんが為
我々指導部は、「オムライス食べよう會?」の結党を
某月某日某所において 高らかに宣言した。

また 世界同時革命を目指す我々は、某bの談合的提案を受け
「オーバーオールを着ま商會」を分科会として容認した。
そして オムライスとオーバーオールがもたらす
栄光の急進的革命的展望と確固たる活動方針につき
議論せんが為 結党大会を府内某所で輝かしく開催した。

ヒトヒトマルマル時に某地にて集結であった。
公安の目を潜り抜け 指導部代表の私は 今回のレポ役某mを同伴し
20分程前に集合場所近辺の茶店に潜伏した。
mはオーバーオールを着ていない。
mには、参加者から続々とメールが着信する。その数 数多。
「まだ お家出てないから 20分程遅れる(*^-^*)」とか
「ちょっと渋滞に巻き込まれて遅れま~す(*^^)v」とか
「お腹が空いたので 十三で阪急そば 食べてま~す」とか とか
そして バラバラと参加者が結集。

参加者は 某b、某m、某s、某u、某r そして指導部代表の私 某h
所属セクトは「肉骨茶同好会」「丸眼鏡三兄弟」「Gubi Gubi Brothers
「立ち飲みしよう会」「昭和ガールズ」「豊田勇造ファンクラブ」「カンチファンクラブ」等々

オーバーオールを着ているのは 某b、某sと指導部代表の私だけであった。

我々は、高らかにホラ話をアジテーションしつつ
ダラダラと革命的勇猛的なパレードを敢行した。
聴け オムライスの叫びを!視よ 革命戦士の勇姿を! 
祝砲が鳴り響くなか 賞賛の声援と賛同の拍手によって
一千億人の同志諸君に迎えられ 入場した。

そして

 

「毎度おおきに~。土曜日のオムライスの人の予約席はそこでっせ!」

ヤレヤレ

2014年3月28日金曜日

大阪 徘徊 桜咲く

阪急電車沿いに 十三まで徘徊を試みる。
中津のガード下がよろしいね
が 淀川に阻まれ 徘徊断念

 
谷町筋を 天満から 上町まで徘徊

 


新梅田食道街から堂山まで徘徊


辿り着いた先に 笑顔の二人が

2014年3月27日木曜日

No Direction Home

日本に行く飛行機の中では 映画を観る。
時間が折り合えば 日本の単館で。
今回の空中映画館は、
「そして父になる」
「ケンとメリー 雨上がりの夜空に」
「謝罪の王様」
「「また、必ず会おう!」と誰もが言った。」
おまけで 「47 Ronin

そして 単館 十三 七蓺で
「父のこころ」

偶然なのだけど 観た邦画全てに
家族、子供、母()の前や後ろで
()が 佇んでいる。

「パパだったんだよ」
「必ず 逢いに行く」
「腋毛ボーボー 自由の女神!」
「信じるよ いつ帰ってきてもいい。後で話してくれ」
「あのな お父はんにも 何が正しいのか分からへんのや」

結末は無い
で 喫茶店で一休み。

2014年3月25日火曜日

十二月の旅人と僕ら風狂い 或はNiagara Moon

昨年末に亡くなった大瀧詠一の「お別れ会」がちょっと前に行われた。
松本隆の弔辞()からは 微熱を感じる。
鈴木茂が語る 
「本番前にこんなアレンジでやろうよと大瀧に言われるのが
楽しかった」
細野晴臣は「録音する度に 彼がこれをどう聴くか 考える」

で 俺はと言うと 12歳だか 13歳 
まだ60年代後半の熱が冷え切らない頃の事。
自分で手繰りなら 小説、音楽、詩、アートを
見つけていった。

「ゆでめん」のライナー・ノートに挙げられている
「下記の方々の多大なる御援助に 深く感謝したい」
の方々は その頃 手繰り始めていた方々だった。
一寸だけ 自分がこれでいいのだと思った。

幾つになっても
「大瀧詠一」「Niagara Moon」は 聞き飽きない。
いつ聴いても 新鮮だ。

そして 言ってあげよう
「君に夢中」って!

2014年3月22日土曜日

定点観測 in 吉隆坡

5時起きで犬の娘bと徘徊。
二度寝したので お掃除はサボり。
洗濯して、朝食。

水餃・雲呑湯、炒粿條
 


 

2014年3月20日木曜日

ヤァ ヤァ ヤァ サマンがやって来た!

1年半振りに スピード違反のサマンが届いた。
スピード・カメラで撮影された
カー・ナンバーと車全体の画像付き
よく見ると運転席で眼鏡が光ってる。

場所は、Sungai Besi 7.9km地点
制限速度80km/hに対して19kmオーバー
日時は、2014219 午前1131

取締り情報やカメラ設置情報が
運転中に分かる様になってから
初めてのサマンとなった。

罰金は300RM(1万円弱)
かつてはディスカウントしてくれて、150RMだったり
100RMだったりした。

もう ディスカウントはしてくれない。

年間最多記録は、24枚のサマンだった。

さて 初めて マジマジとサマンを読んでいて気が付いた。
この22年間 サマンはマレー語だと思ってきたが
実は Summons 召喚状だったのだ。

フムフム また一つ お利口になった。

で その日は曼谷から来たYさん、Hさんと
セレンバンに遊びに行った日じゃないか!

危いから スピードの出し過ぎには 注意しましょうね。