「男が肉骨茶を食べる時 其の二」
そこは、小さな街だ。
短い通りの外れに、小さな関帝廟があり、
廟の中庭に、5,6卓のみの肉骨茶屋がある。
温気が増し、少し朝靄が漂う午前6時過ぎ。
南洋の朝は まだ暗い。
通りを歩いてきた男は、その肉骨茶屋の椅子に座る。
背皺の付いた麻のジャケットを脱ぎ、ぞんざいに畳んで、
空いた椅子に置き、被っていたパナマ帽を置く。
七輪の上でシュンシュンと沸いている薬缶を取り、
茶葉を入れた急須に湯を注ぐ。
一煎目の茶を 盆の上に置いた醤油皿、茶碗、箸、蓮華に注ぐ。
なれた所作で、これらを洗う。まるで儀式の様に。
醤油皿に、刻んだチリと大蒜を入れ醤油を掛け、箸と蓮華を置く。
二煎目の茶を二つの茶碗に注ぎ、南洋商報を読みながら
ゆっくりと茶を飲む。一杯、二杯。
一人前の土鍋と油条、油揚げ、飯が卓に置かれる。
グツグツと音を立てる汁の中には、多くもなく、少なくもない量の
バラ肉塊、リブ、モツ、椎茸、白菜、湯葉の上にレタスが盛られている。
男は、蓮華で掬った汁を口に含む。
口の中でころがし、汁の味を楽しむ。
時間をかけて、肉骨茶を食べる。まるで儀式を執り行うかのように。
肉骨茶を食べ終わった後も 儀式は続く。
ゆっくりと茶を飲み、新聞を読む。
暑気が増し、白み始めた午前7時過ぎ。
男は、パナマ帽を被り、鍔に指を滑らせ、
ジャケットを羽織り、裾を軽く引く。
そして、勘定をすませ、白み始めた街に向かって歩き始める。
2010年9月3日金曜日
2010年9月2日木曜日
肉骨茶同好会研修旅行 閑話休題
「男が肉骨茶を食べる時 其の一」
まだ朝には 早く、夜も終わっていない午前5時過ぎ。
その男が歩いて来る。
男は、短パン、サンダル。シャツは着ていない。
日焼けした上半身。首筋から肩にかけて硬く筋肉は盛り上がっている。
左肩には、四つに畳んだ襤褸の様な手拭が掛っている。
港の入口近く。何軒かの肉骨茶屋台が、客を待っている。
屋台は、卓も椅子も無い。ただ 屋台前に30cm程の台があるだけだ。
男は、その内の一軒で立ち止まり、注文をする。
数分も待たず、屋台の主人が手の平位の大きさの鉢と飯茶碗を置く。
鉢には、一片のリブ、三枚肉の数塊、モツと汁。
男は、立ったまま、飯茶碗を持ち、箸で肉を取り、
飯の上に乗せる。
肉を噛み、汁が滲みた飯を2,3回かっ込む。
何回か、その動作を繰り返すと、肉、モツは無くなっていた。
まだ、飯は残っている。
男は汁を頼む。汁は 銭を取らない。
ふと、男は箸を伸ばす、肉も無い鉢へ。
男の箸は、中空で止まる。
ほんの少しの隙間、伸びた箸は中空を掴むかの様に、
或いは、まだ暗い南洋の温気を掴もうとするかの様に
望郷の念を振り切るかのように、
男は 汁を飯椀に入れ、汁飯をかっ込み、
屋台の主人に 何か呟いて、港に向かって歩いて行く。
まだ朝とも、夜とも つかない 暗闇へ。
まだ朝には 早く、夜も終わっていない午前5時過ぎ。
その男が歩いて来る。
男は、短パン、サンダル。シャツは着ていない。
日焼けした上半身。首筋から肩にかけて硬く筋肉は盛り上がっている。
左肩には、四つに畳んだ襤褸の様な手拭が掛っている。
港の入口近く。何軒かの肉骨茶屋台が、客を待っている。
屋台は、卓も椅子も無い。ただ 屋台前に30cm程の台があるだけだ。
男は、その内の一軒で立ち止まり、注文をする。
数分も待たず、屋台の主人が手の平位の大きさの鉢と飯茶碗を置く。
鉢には、一片のリブ、三枚肉の数塊、モツと汁。
男は、立ったまま、飯茶碗を持ち、箸で肉を取り、
飯の上に乗せる。
肉を噛み、汁が滲みた飯を2,3回かっ込む。
何回か、その動作を繰り返すと、肉、モツは無くなっていた。
まだ、飯は残っている。
男は汁を頼む。汁は 銭を取らない。
ふと、男は箸を伸ばす、肉も無い鉢へ。
男の箸は、中空で止まる。
ほんの少しの隙間、伸びた箸は中空を掴むかの様に、
或いは、まだ暗い南洋の温気を掴もうとするかの様に
望郷の念を振り切るかのように、
男は 汁を飯椀に入れ、汁飯をかっ込み、
屋台の主人に 何か呟いて、港に向かって歩いて行く。
まだ朝とも、夜とも つかない 暗闇へ。
肉骨茶同好会 研修旅行の記憶 二日目前半
前夜の記憶が曖昧なのだが、
酔っぱらう前の打ち合わせ詳細メモから、
研修旅行に付き物の、研修終了後の市内観光。
って まだ研修旅行始まったばかりなんだけど!
Hバリさん、Y造さんは、市内観光は不参加、
すでに研修旅行から脱落。
サバ丼、mint嬢と4人で、Imbiの屋台で朝食。
Mee Goreng、海南鶏飯、魚丸麺、板麺。
酔っぱらう前の打ち合わせ詳細メモから、
研修旅行に付き物の、研修終了後の市内観光。
って まだ研修旅行始まったばかりなんだけど!
Hバリさん、Y造さんは、市内観光は不参加、
すでに研修旅行から脱落。
サバ丼、mint嬢と4人で、Imbiの屋台で朝食。
Mee Goreng、海南鶏飯、魚丸麺、板麺。
この辺りから 撮影会に参加してませんので 使い回し画像の板麺。
写真撮影オアズケ状態。隣の席には丼。
Imbi Wet Marketで総経理馴染の肉屋や乾物屋を冷やかす。
サバ丼が行きたかった「Jadi Batek Centre」でブラブラ。
Imbi Wet Marketで総経理馴染の肉屋や乾物屋を冷やかす。
サバ丼が行きたかった「Jadi Batek Centre」でブラブラ。
バティック工房を体育館と間違えて、ハシャぐ娘二人
固まり始めた丼
そして この店でサバ丼が固まってしまって、脱落。
既に総勢6人の内4人が脱落、なんちゅう研修旅行だ!
Mint嬢と二人で、研修旅行市内散策を継続。
二人で炎天下の中、トボトボ歩き、
Jalan Imbi, Jalan Bukit Bintang, Jalan Pudu、China Townへ。
朝9時半から行動しているのに、既に12時。
「冠記」で雲呑麺ドライ&スープと水餃。
やはり写真撮影オアズケ状態。隣に丼は居ない。
なぜか中華街内にあるヒンドゥー寺院に行く。
日陰の床に座って、
既に総勢6人の内4人が脱落、なんちゅう研修旅行だ!
Mint嬢と二人で、研修旅行市内散策を継続。
二人で炎天下の中、トボトボ歩き、
Jalan Imbi, Jalan Bukit Bintang, Jalan Pudu、China Townへ。
朝9時半から行動しているのに、既に12時。
「冠記」で雲呑麺ドライ&スープと水餃。
やはり写真撮影オアズケ状態。隣に丼は居ない。
なぜか中華街内にあるヒンドゥー寺院に行く。
日陰の床に座って、
肉骨茶同好会の今後、肉骨茶的人生、
肉骨茶が夫婦生活に与える影響、
肉骨茶と豊田勇造の共通点、
豊田勇造ファン的人生、ルーツ・ミュージック等々について
ツッコミの教育的指導を交えながら 激しく討論。
喉が渇いたので、「Chinese Old Café」へ。
♪茶飲み友達は嫌だよ~♪と ビール、ワインを呑む。
そして撮影会 オアズケ状態。隣に丼は居ない。
他のメンバーとは、6時頃にGuest Houseで落ち合う事になっているが
もう既に3時を回っている。
豊田勇造ファン的人生、ルーツ・ミュージック等々について
ツッコミの教育的指導を交えながら 激しく討論。
喉が渇いたので、「Chinese Old Café」へ。
♪茶飲み友達は嫌だよ~♪と ビール、ワインを呑む。
そして撮影会 オアズケ状態。隣に丼は居ない。
他のメンバーとは、6時頃にGuest Houseで落ち合う事になっているが
もう既に3時を回っている。
明日は閑話休題 肉骨茶同好会研修旅行はさらに続く!
肉骨茶kidsは 精進潔斎の上 待っててね!
2010年9月1日水曜日
肉骨茶同好会 研修旅行の記憶 第一夜
前夜の記憶が曖昧なのだが、
酔っぱらう前の打ち合わせで、
独りツッコミmint嬢をKLIA(KL国際空港)で御迎えして、
Guest Houseに護送するまで、自由行動としていた。
少し 重い頭を抱えながら、日用品の買い物に出かける。
まったりと午後を過ごし、KLIAに向かう。
発着ボードで確認すると、ありゃりゃ 予定より早く着いている!
でも 大丈夫。KLIAは、荷物が出て来るのが遅いのだ。
小一時間以上経って、法被りの独りツッコミmint嬢が出てきた。
再会を喜び合う。
タクシーでBukit Bintangに向かう。
車中で、お話しをするのだが、
テンションUp !Up! のmint嬢と微妙に会話が成り立たない。
「ここでツッコまな~ あかんでぇ!」と言われて分かった!
関西人と関東人、会話の間が噛み合っていなかったのだ。
「今回ボケとツッコミを徹底的に教えなアカンな」とmint嬢。
トホホ。
肉骨茶同好会研修旅行が、
「ボケとツッコミの教育的指導旅行」に変更かいな。
Guest HouseでHバリさん、Y造さんと落ち合い、
4人でサバ丼のホテルまでブラブラ。途中で日本酒2L紙パック1本購入。
サバ丼が合流して、今回の参加者が全員揃う。
Imbiの肉骨茶屋「新峰肉骨茶」(Sun Fong Bak Kut Teh)に行く。
酔っぱらう前に、明日の行動予定の確認を行う。
肉骨茶を食べる前の儀式を披露。

サバ丼提供 素面で儀式中の総経理
皆が料理の写真を撮り終わるまで、オアズケ。
この旅では、食事の度に写真撮影会、オアズケ状態となる。
そしてまた、スモーカーの総経理とMr.酔うとレッドネック丼は、
批判を浴びながら、風下の席に二人纏められる事になった。
最終日まで、お食事の時は二人仲良く並んで座る事に。


肉骨茶 アサム???


ディープフライフィッシュ 長豆ブラチャン
酒の一杯は、もう一杯を呼び、
肉骨茶同好会研修旅行の第一夜が更けて行く。
Guest House前の床几に座り、Y造さん、mint嬢と三人で呑む。

吉隆坡の夜に滲んでいくmint嬢
酒の一杯は、もう一杯を呼んでる内に、
総経理の言動が怪しくなったので、お開きとなる。
酔っぱらう前の打ち合わせで、
独りツッコミmint嬢をKLIA(KL国際空港)で御迎えして、
Guest Houseに護送するまで、自由行動としていた。
少し 重い頭を抱えながら、日用品の買い物に出かける。
まったりと午後を過ごし、KLIAに向かう。
発着ボードで確認すると、ありゃりゃ 予定より早く着いている!
でも 大丈夫。KLIAは、荷物が出て来るのが遅いのだ。
小一時間以上経って、法被りの独りツッコミmint嬢が出てきた。
再会を喜び合う。
タクシーでBukit Bintangに向かう。
車中で、お話しをするのだが、
テンションUp !Up! のmint嬢と微妙に会話が成り立たない。
「ここでツッコまな~ あかんでぇ!」と言われて分かった!
関西人と関東人、会話の間が噛み合っていなかったのだ。
「今回ボケとツッコミを徹底的に教えなアカンな」とmint嬢。
トホホ。
肉骨茶同好会研修旅行が、
「ボケとツッコミの教育的指導旅行」に変更かいな。
Guest HouseでHバリさん、Y造さんと落ち合い、
4人でサバ丼のホテルまでブラブラ。途中で日本酒2L紙パック1本購入。
サバ丼が合流して、今回の参加者が全員揃う。
Imbiの肉骨茶屋「新峰肉骨茶」(Sun Fong Bak Kut Teh)に行く。
酔っぱらう前に、明日の行動予定の確認を行う。
肉骨茶を食べる前の儀式を披露。

サバ丼提供 素面で儀式中の総経理
皆が料理の写真を撮り終わるまで、オアズケ。
この旅では、食事の度に写真撮影会、オアズケ状態となる。
そしてまた、スモーカーの総経理とMr.酔うとレッドネック丼は、
批判を浴びながら、風下の席に二人纏められる事になった。
最終日まで、お食事の時は二人仲良く並んで座る事に。
肉骨茶 アサム???
ディープフライフィッシュ 長豆ブラチャン
酒の一杯は、もう一杯を呼び、
肉骨茶同好会研修旅行の第一夜が更けて行く。
Guest House前の床几に座り、Y造さん、mint嬢と三人で呑む。
吉隆坡の夜に滲んでいくmint嬢
酒の一杯は、もう一杯を呼んでる内に、
総経理の言動が怪しくなったので、お開きとなる。
2010年8月31日火曜日
肉骨茶同好会 研修旅行の記憶 その前夜
ルーツ肉骨茶を巡る研修旅行が開催され、
昨日 無事終了した事を先ず報告する。
肉骨茶同好会の会合の中でも、極めて有意義で、
その歴史の中でひとつのエポックメーキング的3日間であった。
バンコクでの「普及報告会」の惨状を会長自ら自己批判し、
内面的自己改革を図った建設的勝利であった。
研修旅行中の会合打ち合わせ詳細議事録の一部↓。



さて、研修旅行に参加したのは、
チェンマイから 醇豆腐研究家のHバリさんと
35年来の付き合いのY造さん。
バンコクから さば丼こと
肉骨茶同好会オースチン支部婦人部長さば嬢と
Mr.酔うとレッド・ネック・丼。
神戸から大阪肉骨茶販促部長 独りツッコミのmint嬢。
そして私、肉骨茶同好会会長・アルマジロ無限公司総経理廣川。
いずれもルーツ・肉骨茶について語らせれば左に出る者が居ない総勢6名。
さて、この記録はその前夜から始まる。
予定されていた研修旅行は、28日の夜からだった。
そこに「八角が苦手なので肉骨茶が食べられない」Hバリさんと
「肉骨茶を食べた記憶が無い」Y造さんが27日から合流する事になった。
その為 総経理は、副業の数多ある業務を全てキャンセルして、
又は今日できる事を6日間後にして、5連休を無理矢理とったのだ。
そして、27日の昼過ぎ、HバリさんとY造さんを
LCCT(格安航空用ターミナル)に御迎えし、吉隆坡に護送した。
「酔っぱらっていない総経理に会うのは初めて」とHバリさんに褒められる。
少し 嬉しい!
Jalan Bukit Bintang周辺のGuest Houseを百万遍、
厳選したGust Houseに宿を決定。独りツッコミmint嬢の予約もする。
2L紙パック銀盤を持って、客家醇豆腐を食べに「客家レストラン」へ。
客家醇豆腐
フカひれ卵炒めレタス包み
山菜と干蝦の炒め物
酔う前に明日からの「肉骨茶同好会研修旅行」の打ち合わせ。
が しかし 酒の一杯は、もう一杯を呼び。
近い将来の「吉隆坡Live」の候補の一つ「Yoko’s Bar」に移動。
酒の一杯は、もう一杯を呼んでる内に、
総経理が現代音楽的フリー・ブルーズをピアノで演奏して、お開きとなる。
ふむふむ、正しい肉骨茶同好会研修旅行の始まりではないか!
昨日 無事終了した事を先ず報告する。
肉骨茶同好会の会合の中でも、極めて有意義で、
その歴史の中でひとつのエポックメーキング的3日間であった。
バンコクでの「普及報告会」の惨状を会長自ら自己批判し、
内面的自己改革を図った建設的勝利であった。
研修旅行中の会合打ち合わせ詳細議事録の一部↓。
さて、研修旅行に参加したのは、
チェンマイから 醇豆腐研究家のHバリさんと
35年来の付き合いのY造さん。
バンコクから さば丼こと
肉骨茶同好会オースチン支部婦人部長さば嬢と
Mr.酔うとレッド・ネック・丼。
神戸から大阪肉骨茶販促部長 独りツッコミのmint嬢。
そして私、肉骨茶同好会会長・アルマジロ無限公司総経理廣川。
いずれもルーツ・肉骨茶について語らせれば左に出る者が居ない総勢6名。
さて、この記録はその前夜から始まる。
予定されていた研修旅行は、28日の夜からだった。
そこに「八角が苦手なので肉骨茶が食べられない」Hバリさんと
「肉骨茶を食べた記憶が無い」Y造さんが27日から合流する事になった。
その為 総経理は、副業の数多ある業務を全てキャンセルして、
又は今日できる事を6日間後にして、5連休を無理矢理とったのだ。
そして、27日の昼過ぎ、HバリさんとY造さんを
LCCT(格安航空用ターミナル)に御迎えし、吉隆坡に護送した。
「酔っぱらっていない総経理に会うのは初めて」とHバリさんに褒められる。
少し 嬉しい!
Jalan Bukit Bintang周辺のGuest Houseを百万遍、
厳選したGust Houseに宿を決定。独りツッコミmint嬢の予約もする。
2L紙パック銀盤を持って、客家醇豆腐を食べに「客家レストラン」へ。
酔う前に明日からの「肉骨茶同好会研修旅行」の打ち合わせ。
が しかし 酒の一杯は、もう一杯を呼び。
近い将来の「吉隆坡Live」の候補の一つ「Yoko’s Bar」に移動。
酒の一杯は、もう一杯を呼んでる内に、
総経理が現代音楽的フリー・ブルーズをピアノで演奏して、お開きとなる。
ふむふむ、正しい肉骨茶同好会研修旅行の始まりではないか!
駅そば…石北線 遠軽駅
総経理のご指名とあっちゃあ、知らぬ振りはできません。
行って来ましたよ、遠軽駅。
まぁ、通詞経理邸の工事打合せに行く途中の寄り道でしたが…ね。
しかし、我が北見駅の駅蕎麦は随分以前に閉店になっているので、
果たして???の気分で向かった訳ですが…。

行って来ましたよ、遠軽駅。
まぁ、通詞経理邸の工事打合せに行く途中の寄り道でしたが…ね。
しかし、我が北見駅の駅蕎麦は随分以前に閉店になっているので、
果たして???の気分で向かった訳ですが…。
上写真の駅舎の右側にチョコンと併設されていた。
茶色の柵の向こう側はホームですよ。
「木造駅舎の○○」のような番組に出てきそうね。
茶色の柵の向こう側はホームですよ。
「木造駅舎の○○」のような番組に出てきそうね。
メニューは7品のみ。
「天麩羅」と書いてあるが、スペシャルの内訳には堂々と「かき揚げ」と…(^^)
300+50+90+100+150=690円。フムフム、スペシャルは90円お得なのね。
「天麩羅」と書いてあるが、スペシャルの内訳には堂々と「かき揚げ」と…(^^)
300+50+90+100+150=690円。フムフム、スペシャルは90円お得なのね。
立ち寄った時刻は午前10時。
当然のように休憩中でしたので、実物の写真はありません。
多分、8時過ぎ11時過ぎに通過する特急御用達なのかな?
ところで、「あいがも」はここいらの駅蕎麦では珍しいと思われます。
一般的には「鴨南蛮そば」と言われているとおもうけど、
ここいらでは最近までポピュラーではありませんでした。
滝川市周辺では名物だと聞いてはおりますが…。
そういえば、東京でバイトしていたそば屋さんでは、
鴨南蛮のお肉は、鶏肉が入っていたな。
お客さんは、それについて誰も突っ込まなかったなぁ~。
そして、北海道では鶏肉入りを「かしわ」と呼んでいるな。
公正取引委員会は、この辺どう考えているのだろう???
総経理、ステージジャックの雄姿をさくらさんのブログで拝見しました。
4月の「客席ジャック」を「ライブジャック」と言い間違えた雪ん子は、
バンコクのこの快挙を予見していたのでしょうか?
ポム・チョープを歌ったの?
MCもしちゃった??
マイクパフォーマンスはしなかったの???(^^)
当然のように休憩中でしたので、実物の写真はありません。
多分、8時過ぎ11時過ぎに通過する特急御用達なのかな?
ところで、「あいがも」はここいらの駅蕎麦では珍しいと思われます。
一般的には「鴨南蛮そば」と言われているとおもうけど、
ここいらでは最近までポピュラーではありませんでした。
滝川市周辺では名物だと聞いてはおりますが…。
そういえば、東京でバイトしていたそば屋さんでは、
鴨南蛮のお肉は、鶏肉が入っていたな。
お客さんは、それについて誰も突っ込まなかったなぁ~。
そして、北海道では鶏肉入りを「かしわ」と呼んでいるな。
公正取引委員会は、この辺どう考えているのだろう???
総経理、ステージジャックの雄姿をさくらさんのブログで拝見しました。
4月の「客席ジャック」を「ライブジャック」と言い間違えた雪ん子は、
バンコクのこの快挙を予見していたのでしょうか?
ポム・チョープを歌ったの?
MCもしちゃった??
マイクパフォーマンスはしなかったの???(^^)
2010年8月26日木曜日
吉隆坡の街は変ったのだろうか?
肉骨茶同好会研修旅行に向けて、
どういう道順で歩くべきか、ぐーぐるまっぷで研究している。
長期滞在し始めた18年位前は、
吉隆坡の街を よくホッツキ歩いていた。
車を運転していなかったし、
当時の吉隆坡には、モノレールもLRTも無かった。
ホテル住まいだったので、
休みの日の時間潰しが最大の目的だった。
ホテルのあったJalan Bukit BintangからChina Town、インド人街、
国立博物館からLake Garden、国立モスク、旧KL駅、独立広場、
ヤオハンが入っていたモールとか 大通り、路地裏をうろつき回った。
ホテルからだと、どこも30分か小一時間で歩き回れる。
コンドミニアムに住み、車を運転する様になると、
休みの日は いつも同じ場所に行き、さっさと家に戻る。
所用を最短時間で済ます為に 混雑を避け午前中に行動する様になった。
夜な夜な呑みに行っていたのも、面倒になり、
この10年位は一年に数回位だ。
18年前とは、吉隆坡の街並みも変ってしまったけど、
車で移動していると変化を感じても、立ち止まって確認する事が無い。
そして、プライベートでは 誰とも付き合わない引き籠りになっていた。
昨年の「6.6円山」がキッカケで、少しは引き籠り状態から抜け出せた。
久し振りに 肉骨茶同行会の会員と吉隆坡の街をうろつき回ろう!
そして 吉隆坡の街がどう変わったか見る事にしよう。
だけどね、
今でも 炎天下の中を30分以上も歩く事ができるのだろうか?
どういう道順で歩くべきか、ぐーぐるまっぷで研究している。
長期滞在し始めた18年位前は、
吉隆坡の街を よくホッツキ歩いていた。
車を運転していなかったし、
当時の吉隆坡には、モノレールもLRTも無かった。
ホテル住まいだったので、
休みの日の時間潰しが最大の目的だった。
ホテルのあったJalan Bukit BintangからChina Town、インド人街、
国立博物館からLake Garden、国立モスク、旧KL駅、独立広場、
ヤオハンが入っていたモールとか 大通り、路地裏をうろつき回った。
ホテルからだと、どこも30分か小一時間で歩き回れる。
コンドミニアムに住み、車を運転する様になると、
休みの日は いつも同じ場所に行き、さっさと家に戻る。
所用を最短時間で済ます為に 混雑を避け午前中に行動する様になった。
夜な夜な呑みに行っていたのも、面倒になり、
この10年位は一年に数回位だ。
18年前とは、吉隆坡の街並みも変ってしまったけど、
車で移動していると変化を感じても、立ち止まって確認する事が無い。
そして、プライベートでは 誰とも付き合わない引き籠りになっていた。
昨年の「6.6円山」がキッカケで、少しは引き籠り状態から抜け出せた。
久し振りに 肉骨茶同行会の会員と吉隆坡の街をうろつき回ろう!
そして 吉隆坡の街がどう変わったか見る事にしよう。
だけどね、
今でも 炎天下の中を30分以上も歩く事ができるのだろうか?
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