2015年10月8日木曜日

Nobody Knows

冷凍庫の様な 事務所から 徐々に
身体が解凍されながら お家に帰る。
 
御飯を炊き
ハンバーグを料理する。
 
付け合わせは マカロニと半熟卵。
 
少しだけ 満足しながら
聴くのは Ry Cooder 「JAZZ」!
ご機嫌な音さ。
 
誰も俺の事を知らない
いつか だれかと
俺が何かやり遂げるまで
誰も俺の事は知らない
 
そして夏が来て 誰もがちょっと思う
涼しく体を冷やしたい
君も来て 一緒に冷えたビールを呑もうよ
 
誰も 俺に言わない
 
クリスマスイブには 列車の下で
ただ乗りしてたさ
ゴトゴト 俺の首が揺さぶられ
 
さて 俺は 何もしないかも知れない するかも知れない
 
でも 誰も俺の事を知る事も無い
だって 誰も そんな無駄な時間も無いしさ
 
 
 

2015年10月7日水曜日

愛しの排骨飯

ネットのデリバリー・サービスを見ていたら
新しく臺灣便當がラインナップされていて
メニューには 臺灣便當 最強の排骨飯(パイク―ファン)があった。
 
早速 オーダー!
ウ~ 竹の箱が なんとも臺灣便當
 
ちょっと お洒落だ。
 
豚肉にしっかりと味付けされているのが
日本のトンカツとは違う ウマウマ!
御飯に乗ってる 肉そぼろも良いのだけど
できたら 排骨が 御飯の上で 
肉そぼろは 端の方で 恥ずかしいそうにしていて欲しかったな。
 
40年前に初めて 台湾に行ってから
台湾のいろんな所で 排骨飯 排骨麺を食べて来た。
現場の仕出し弁当、路上の屋台、駅弁、市場の屋台、秤売りのブッカケ飯屋等々。
蜆の紹興酒漬けの次に 好きな台湾の食べ物だ。
その次は 虱目魚飯(サバヒ―ファン)さ。
 
一番好きな 排骨は 衣にも味が付いた
こんなのだけどね。
 
愛する人と 一緒に食べたい 我が愛しの排骨飯~♪


 
 
 
 

2015年10月6日火曜日

御飯を食べる

北西の街から帰ると
お米が食べたくなった。
温存していた「兵庫県但馬産 コシヒカリ 蛇紋岩米」を炊いた。
 
う~ 日本米 美味しい!
お米だけで ちょっと食べて
ウの字に貰った 奈良漬やら 紫蘇の実 うま塩海苔をトッピングする。
う~んまい!
 
 
残った御飯は あの子の作った 塩むすびにしようと思ったが
bやんの梅干し+紫蘇で
自分で作った梅むすびにした。
 
明朝 ウの字のうま塩海苔をまぶして 食べよう。
 
TPPには まったく関係なく
ジャポニカ米は 日本のお米が美味しいのだ。

2015年10月5日月曜日

妄想と妄想の狭間

不思議な事に
四六時中 認識できているのは 自分だけだ。

親しい人が 何処かで美味しい食事をしていても
楽しい時間を過ごして居ても 認識できない。

邯鄲の夢の様に
自分が観ている夢の中に居るのかも知れない。
好きな人も 愛している人も 
自分の夢の中で 妄想している人達なのだろう。

自分も誰かの夢の中で妄想されている人なのかもしれない。

ならば 勝手に動く事ができるのではないか?
何をしても 妄想の中の出来事なのだから。

と 妄想しながら 眠りに入ろう
妄想と妄想の狭間で 起こった事は忘れて。






2015年10月4日日曜日

タハラくんが来てくれた2日間とちょっとの時間

大学の頃 主宰していた「牛の会」構成員のタハラくん
ハノイ出張の帰りに 馬来西亞に来てくれた。
タハラくんに初めて会ったのは 38年前の事
2年遊んでから 大学に入った俺とは
二つ年下で 福島から上京してきた 好青年のサウスポー!
その頃 俺は おじさん 又は おいちゃんと皆から呼ばれていた。

会うのは 恩師の退官パーティー以来だから 20年振りだ。
KLIAに迎えに行き お家にお持ち帰り。
家に入るなり
「おじさんのアパートで 押入れにギッシリの本とレコードを見て
感動したけど 40年近く経っても 同じだね」 と褒められる(テレテレ)。

タハラくんは 南相馬に居る。
何の躊躇も無く 携帯放射線量計を取り出して
「おじさんの所 南相馬と同じ数値だよ」
Ummmmm!

大学の頃と同じ様に 酒を呑み
馬鹿話 少しだけ 真面目な話をして寝た。

翌日は 俺の休日の過ごし方に付き合え
でも 朝食はいつもと違うよって。
肉骨茶の聖地クランで朝食の後
KLCCで本屋、スーパーで御買い物
家に帰り 11時が回ったので 「命の水」を呑む。

タハラくんは ちょっと不満そうに
「おじさん これって 今日はもう何処にも行かないって事?」
「そうだよ タハラ 明日 観光に行こう!」
で 一緒に酒を呑み 御昼寝をして
レバ刺しを食べに行き 足裏マッサージ
ラムリ―バーガーを歩き食いして 寝た。

俺がBlind Sweet Tanとセッションしている間
タハラくんは お散歩に。
インビの市場に行き バティック屋へ、
イスラム美術館、客家で客家麺とヨン豆腐。
家の近くのスーパーと中医屋へ。

あれっ これって いつだったかと同じコースだ。

で また 酒を呑み 馬鹿話と少しだけ真面目な話をした。
タハラくんが もっかい 足裏マッサージとラムリ―バーガーと言うので
最後の一時間を過ごす。

お家に戻り タクシーが来て タハラくんが空港に行く。
「じゃあな 死ぬ前にまた逢おうぜ!」

そして 俺は また独りになったんだ!























2015年10月1日木曜日

Midnight Runbler

漫画では 読んでいたけど
「深夜食堂」と「孤独のグルメ」を
You Tubeで観ている。

そうだった こっちに来る前まで
何年も 何年も
新宿、渋谷、下北沢、池袋、新橋等々
終電が終わった街を
ウロツキ廻っていた。

帰る家があり 自分のベッドもあるのに
夜中をウロツキ 仕事に行く前に
立ち食い蕎麦屋や 定食屋で 朝飯を食う。

週末 恵比寿まで 一週間分の着替えを
一週分の汚れものと引き換えに
来てくれる人と子供が居た。

そんな 記憶が蘇って来た。



2015年9月28日月曜日

Hard Rain

1976年と1977年の夏に 台湾に行った。
数週間の旅だ。
 
知り合いの家に お邪魔する旅だ。
台北を起点に 連れってくれる所に行く。
 
台北から 花蓮
台中 阿里山 台南 高雄
バスとロコウ号で移動。
 
当時の台湾は アメリカの息が強くて
台北の玲玉のアパートでは
在台米人とも 何夜も呑んだ。
 
アパートから 朝食を食べる為に
路上に行けば パイク―麺だったり
サバヒ―飯だったり
 
そして
怜玉の弟が 持っていた「Hard Rain」のLPを何回も聴いた。
で 今夜は これがTVであるよって
そんな 映像なのか?
 
この頃のディランは 素敵だった。