2010年6月20日日曜日

ギター・インスト、中川イサトさん

ギター・インストを聴いたり、弾き始めたのは、74,5年頃だった。
きっかけは、当然ながら中川イサトさん(1310師匠)の「六番町ラグ」!
当時イサトさんは、加川良や他のミュージッシャンのバッキングが多かったけれど、
ソロの時は、インスト曲を2,3曲は演っていた。
「六番町ラグ」「かすていらのかをり」「セブンブリッジ」等々。

渋谷のヤマハで、ステファン・グロスマン教則本を買った。
彼の教則本はTAB譜のみ(コード記載なし)なので、
何連音符なのか判断できず、レコードも入手する必要があった。
高校生には、金銭的につらかった。

75年にイサトさんの楽譜集「ミスター・ギター・マン」が出版された。
唄が半分で、唄の旋律とギターの楽譜が並列され、
複雑なコードには、親切にコードダイアグラムも付いていた。
半分がインスト曲でTAB譜と楽譜の並列表記の上に コード付きだったので、
聴いた事の無い曲も弾く事ができた。
唄の曲だけど「あふたぁぬうん」のギターもお気に入りのひとつ。

そして、77年にインストLP「1310」をリリース。
収録曲は、ラグやブルースが多いけれど、全曲インストのギター・アルバムなんて、
日本ではクラッシック・ギター以外には無かったと思う。
同い年の従兄弟とオープンGだDだとかとコピーしあっていたもんだ。
正解を知るのは、3年後80年出版「ミスター・ギター・マン2」だった。
この頃「1310」以外の日本のギター・インストLP は、
79年自主製作の小林たけし「ユンタ」を入手したのみだった。

80年代のイサトさんは、ギター学校をやりながら、
自主製作(ナニワ・レコード)で インストLPを5枚リリースするのだが、
総経理は、入手が叶わなかった。
再びイサトさんのギター・インスト・アルバムを入手できるのは、
90年リリースの「Water Skipper」以降だった。



そんな ギターの話とは 関係なく 肉骨茶屋のレシート。
宿は取っても、副業日程は決まっていない。
トホホ。












2010年6月19日土曜日

醇豆腐(ヨンドウフ、Yong Tau Fu)

以前 醇豆腐の画像をupした時に、
激しく反応して、コメントにカキコした方がいて、
さらに水牛通信のコラムで「おでんのルーツ」を書かれた。

醇豆腐は、魚や豚肉のすり身を豆腐、チリ、茄子、オクラ、湯葉等に挟みこみ、
揚げたり、炒ったり、茹でたりして具とする。
挟む野菜、豆腐は、熱を通すがフレッシュ感が大事だ。

馬来西亞の麺類と同様に、スープとドライがある。

具にスープを掛けたものは、「おでん」感覚。
スープは、醤油仕立ては見当たらず、鶏出汁のアッサリ系が多い。


甜麺醤ベースの甘ダレを掛けたドライは、「田楽おでん」感覚。


甘ダレにさらに砕いたピーナッツがフリカケられている所もある。
いずれも、チリソースが付いてきて、チョチョッと付けて食べる。
スープの場合、甘ダレも付いてくる。

確かに「おでん」に近い感覚があるのだが、
「おでん」の様に、具に汁を滲みこませる様な調理はしない。

醇豆腐の専門店、専門屋台の他、
トッピングとして具を置いている麺屋台、
ライスペーパーを円筒形に巻いた(具無し、具入り)

猪腸粉(Chee Chong Fun、チーチョンファン) の屋台でも醇豆腐を置いている。
猪腸粉屋台では、ドライのみの所が多い。

醇豆腐のみでお腹を満たすのではなく、
オカズ又は酒のつまみの一品って感じだ。

アララ、26日 なぜにK都のホテルは、どこも満室なのか?
路上で寝るしかないのだろうか?

困った 困った!

2010年6月17日木曜日

1997年「ジョホールバルの喜劇」の記憶


行き成り、醇豆腐ドライ!

次期総経理雪ん子 ありがと。好きだよ!
サッカーW杯が始まったが、
サッカーに興味が無いので、どうでもいいのだが。

1997年にジョホール・バル(JB)で、対イランとのW 杯本戦出場決定戦があった。
あのビッグサプライズの日。
副業関係で、この試合の観戦を企画した人がドタキャンし、
運転手が不足したので、業務命令で急遽運転手として狩り出された。
入場時に取り上げられない様に、
そつなく日本酒をペット・ボトルに入れて持って行った。
総勢8人、車二台に分乗して、JBに。

JBのホテルで一休みして、スタジアムまで道も間違えずに行けた。
何処から湧いて来たのか、日本人が80%位居た。
こんな沢山の日本人を見た事が無い。

サポーターが紙吹雪用に新聞広告を配って、
紙吹雪の作り方と撒き時を日本語で説明している。
「今、撒いてはいけません」って言うのだが、
ローカルは、直ぐ撒いちゃ、喜んでいた。

日本が先取点をあげた。
久し振りの新聞広告を眺めながら、酒の一杯はもう一杯を呼んでいると、
イランにあっさり逆転されていた。そんなもんさで もう一杯。
同点後の延長、日本の勝利!W杯本戦初出場!
興味が無いとは言え、酒の勢いもあり、興奮してしまった。

興奮したサポーターがフェンスを乗り越えて、
ピッチに入ろうとするのをポリが棍棒で叩いていたっけ。
そんな事を尻目に、早く出ないと渋滞になるので、駐車場に向かう。
が、隙間と言う隙間に、バス、車が駐車されていて、出るに出れない。
サポーターがバスに乗るのを待つ事2時間、とっくに次の日になっていた。

深夜2時頃、ホテルに向かうが、誰も道を覚えていない。
2台の車でウロウロする事、小一時間。何処を走っているか分からん!
タクシーを停めて、ホテルまで先導させる最後の手段に出る。
タクシーを追尾して、2台共、無事ホテルに着いた。
のだが、タクシーと交渉していた奴が居ない。
どうも、タクシーを捕まえた場所に 奴を忘れてきたようだ。アララ。
携帯電話で奴に連絡を取ると、別のタクシーでホテルに向かっているとの事。
奴には珍しく、激怒している。こんな良き日に、怒っちゃ 台無しだよ。
で、良かった、良かったと部屋で呑む事にした。

日本が初めてW杯本戦出場を勝ち取った1997年のあの日、
あれやこれやで、総経理はすっかり疲れてしまった。
ビッグサプライズは、偶然と必然を結び合わさなくてはならない。
と 言う事で、少しだけ、副業お仕事頑張って、みるかな、後一週間。

2010年6月14日月曜日

2010.6.11 豊田勇造 in北見

6月11日お昼過ぎ、前日の開催地 常呂の宿へ迎えに行く。
ここ数年の定宿らしく、宿の関係者は無人で、勇造さんが留守番をしていた。

車で北見へ向かい、北見在住のファンの女性に案内されて「六創美術館」へ。
のんびり鑑賞出来たのか、満足そうに馴染みの喫茶店「異邦人」へ移動。


















「異邦人」にて、80年代前半までの主催者 池田晃四郎と。


今年の会場は、初めてのライブハウス 『夕焼けまつり』

セットリストは、掲示板の HIRO.Yさんの投稿からコピペ。
HIRO.Yさん、あんがとね(^^)

第一部
①青函連絡船
②長崎帰り
③振り返るには早すぎる
④住所録
⑤大文字
⑥桜吹雪
⑦勇造ないないづくし

第二部
⑧三人の旅人満月の夜に
⑨メコンリバーブルーズ
⑩再会
⑪追憶
⑫田中一村
⑬チャオプラヤー河に抱かれて
⑭それで十分

アンコール
⑮夢で会いたい
⑯走れアルマジロ



青函連絡船から始まるセットは始めてだった。

長崎帰りとのセットメニューで、会場はしっかりノリノリ。

二部の新曲3曲は、北見では(当然)始めてだったけれど、

きちんと伝わっていた。

しかし、「メコンリバーブルース」が、今回の目玉になったのかも…。

「さらば愛しき大地」のような歯がゆさが、前を向く力を伴って伝わってくる。

打ち上げは、これも定番の「板門店」という焼き肉屋さん。

炭火でホルモンを焼き、ビールをグビグビあおる映像が、きっとKLにも届いたのね(^^)

雪ん子にとっては「オホーツク塩焼きそば」よりも、断然北見のB級グルメだと

信じて疑わない『目丼』(目玉焼き丼~340円也)

翌日。勇造さんはHIRO.Yさんに乗せられて、330kmの彼方へ旅立ったのだ。

と、まあ、こんな感じで如何でしょう?総経理??

それにしても暑い、熱い北見でしたとさ

2010年6月12日土曜日

北の町から電話があった様な気がと呟いてみる

喉の渇きを覚えて、夜中に目覚める。

水を呑みながら、不確かな記憶が甦る。



何か、夢の中で、電話があったような気がする。

ホルモン食べながら、呑んでるよ と。

それは、どこか 遠い北の町からの声。

楽しそうな人達の声。

嬉しい人の声。



夢で会えたのかな。

2010年6月9日水曜日

勇造ライブ 北海道ツアー中

北海道ツアー中の勇造。
6.4 長万部6.5ニセコ、6.6小樽、6.7札幌の前半戦終了。
6.10常呂、6.11北見、6.12苫小牧、6.13帯広の後半戦が始まる。
6.11北見は、次期総経理 雪ん子が寝坊をしながら駆け回っている事だろう。
名古屋、大阪から北海道ツアーに参戦している人達もいる。
もちろん、道内追っかけの方達も参戦中。
盛況の内に、6.6一周年記念小樽のライブも終わった様だ。
勇造チルドレンが再び一同に会し、
6.5高槻、6.6山崎で、「五十嵐政史とソウルブラザーズ20周年ライブ」を敢行した。
持続する志しソウブラが盛り上がった様だ。30周年ライブには、参戦したい。
カンチ、スナフ、キムラの「全ビ同 鼻炎トリオ」。
次回は、ゲバ棒フランスパンと味の素火炎小瓶を導入して欲しい。

総経理も何かせにゃアカンと、勝手に舞い上がって、
さくらさんに無理を言って、高槻のバザーに出品させてもらった。
「勇造、友部、カラワン タイライブ」カセット・テープ全2巻と
勇造サイン入りカセットテープ版「チャオプラヤ河に抱かれて」の二品。
勇造FC栢下会長時代の機関誌「アルマジロ」全4号の表紙と
勇造直筆「ファンクラブに寄せて」のコピーを包装紙用おまけとした。

(写真提供さくらさん)
「タイライブ」は、ソウブラのホッコリ三線山村さんと
同じくソウブラの歌姫ウメちゃんがGet!
ウメちゃんと文通から始めてみた~い!(なんでや!)

(写真提供さくらさん 画像修正総経理)
「チャオプラヤ」は、我が心の友bやんがGet!
遅れて行ってGetとは、肉骨茶の様な奴っちゃ!(何のこっちゃ!)
簡便販売なので、包装紙は、配布品となった様だ。
当日参加できず、包装紙が欲しい方は、コメントしてね。

よかった、よかったと、今日も呑むかな!

次期総経理雪ん子に告ぐ! ついでに渾身の6.11レポを投稿せよ!
レポ投稿完了まで、6.12以降 総経理は投稿せんからね!

2010年6月8日火曜日

肉骨茶(Bak Kut Teh)の素 再び

ホルモン同好会から大厄吉隆坡支部長を拝命すべく、
肉骨茶研究を報告して、実績を積む事にした。
って、問題は 総経理のポン酒一本槍。モルト好きの同好会だから。

前回、日本で入手できる「肉骨茶の素」を調査したので、
地元 馬来西亞での調査第一弾として、
超級市場でイージーに入手できる「肉骨茶の素」を調査した。

ISETANとCold Storageで、
何の苦労もせずに、5種類の「肉骨茶の素」を入手。

左上時計回り A1、Uncle Sun、Yew Chin Haw, Ken、Singlong、Cray Pot(中央)
御小遣帳に合計金額記入後、レシートを捨ててしまったので、
単体詳細価不明だが、Clay Pot印が最安値、Uncle Sun印が最高値。
3 ~ 8RM(100円弱~240円弱)位だった様に記憶している。
いずれも、粉末漢方入り紙パックと各種漢方のセット。
漢方の種類と各漢方の量は、いろいろ。
総経理の好みは、Uncle Sunなのだが、
今回は、Cray Pot印「Klang Bakuteh」を使ってみる事にした。
Klangは、馬来西亞肉骨茶の発祥の地とまことしやかに伝えられている。

豚バラブロックと戻した椎茸、マッシュルームに、
「Klang Bakuteh」の漢方セットを投入。
中華たまり醤油「老抽」と「蠣抽」で味を調えて、3時間程コトコト。

味は、それなりに出来た。

馴染の的士運転手に、リザーバーとして店の肉骨茶を打包してもらう。
って、下処理済みのホルモンが入手出来ないし、
下処理上手くできた事がなく、面倒臭くなっただけなんだな。

って事で、今回はクレーポット肉骨茶風ではなく、
屋台肉骨茶風に、中鉢でサーブ。

6月5日「五十嵐政史とソウルブラザーズ 20周年ライブ」打ち上げでも肉骨茶が