2010年6月24日木曜日

私は決して 悪い人間じゃない!

6月26日(土)午後3時過ぎ K都某所で
「肉骨茶の素」頒布会を開催します。

肉骨茶同好会と肉骨茶普及委員会の共催だね。

ま~ 大体揃った!

立ち呑み同好会とも共闘!

さらに チリ愛好会の御要望に応えて、一握りのチリを・・・!

って、華人の御友達に頼んだら、
明日ねって言ったのに もー 買って来て、
「あ~ゆ~ ベリーベリーハッピー ソー メニー チリ」
腐るほどのチリ!

それに 赤!って言ったのに、やっぱり緑!

よかったね ヒバリさん!

総経理 素手で触りたくな~いよ!

総経理が、北の政所から、何か叱られている時、
心でつぶやく、唄があった!

俺は決して 悪い人間じゃない~
ただ かんがえ~が あっ っま い だけ♪

2010年6月23日水曜日

注文殺到

自家製雲呑麺ドライ


なぜか 「肉骨茶の素」や「大根チップ」や「刻みチリ」やらを
沢山注文されて 困惑している。
総経理 副業お仕事で日本に行くだけで、「拾得」に行くわけじゃないのに。
困ったもんだ!

でも、まあ、ホテルから宅急便で送ればよいので、
副業を小一時間サボって、仕入れに駆けまわっていた。

そんなこんな していたら、
ビレッジプレス村元さんから、「DVD豊田勇造 円山音楽堂ライブ!」
送付先住所確認のメールが来ていた。

7月1日に馬来西亞に着く様に、発送日を気遣って頂いているようだ。
マッ マズイ!
このままでは 行き違いになってしまう!
帰馬は7月2日、来週は出社しない。
26日に 現物が目の前にあって、入手可能なのに、
7月5日まで手にする事が出来ないのは、身悶えしてしまう。

なので、村元さんに感謝しながら、
断腸の思いで 発送差し止めメールを送った。
まだ 発送しておられなければ 良いのだけれど。

もう少し 「肉骨茶の素」を入手せねばなるまい。

2010年6月22日火曜日

2004年6月26日「豊田勇造ライブ 拾得」の記憶

2004年6月25日(金)に日本出張・大津、28日(月)から台湾だった。
馬来西亞に帰らず、関空から中正に飛ぶ事にした。
週末を日本か新竹どちらで過ごすか考えていると、
26日(土)拾得で勇造ライブがあった。大津から京都 近いじゃないかっ!
5、6年振り位の勇造ライブ!偶然とは 恐ろしい。と言う事で、週末は京都。

昼頃 大津から京都へ。錦水館に荷物を置いて、昼酒に行った。
ほろ酔いで、「眼鏡研究社」発見!丸眼鏡一本作る。
錦水館に戻ると九州から来た人が部屋に居て、お話しをする。
一緒に ブラブラ歩いて拾得へ。
カウンター前のテーブル端に陣取る。ここだと、日本酒の注文も楽だし、
立てばカウンターに、座ればテーブルにグラスを置く事が出来、トイレも近い。
なんて賢いんだろう!

この日は3部構成、初めて聴く「勇造バンド」!
のっけから、バンドでブルーズづくし、ええな。
2部はソロ、3部 バンド。 久し振りの勇造は、最高!
アンコールのジェフでは、勇造 ギターをアンプに擦り擦りハウリング。
久し振りの勇造ライブ、お酒と音が身体に滲みた。

総経理の前で酔ってた人が、最後にぶっ倒れたのは御愛嬌。

打ち上げで呑む、錦水館泊の人達、電車に乗り遅れたFC初代会長と
ラーメン屋で呑んで 錦水館へ。部屋で呑みながら延々話す。
数時間程寝て、風呂に入り、朝6時過ぎに錦水館を出て、関空へ行った。

馬来西亞に戻り、清算の領収書「錦水館 三千伍百円也」を見て、
当時の上司が「お前 京都で御休憩したんか?」って。
そんな2004年6月26日の記憶。

今年の勇造B.D.ライブ、26日(土) 27日(日) 6.6 DVD記念2 nightだ!
2004年と同日、曜日も同じ。来週の海外出張も決定。偶然とは 恐ろしい。
でも今回は けい子はんがテレパシーを送ってくれるそうやから、
無理して 拾得行かんでもええのんと ちゃいますかぁぁぁぁ!?

今回、記憶作成に「さくら勇造資料館」を参考にしました。
ありがと さくらさん。


ご近所の橋脚と建物の隙間で屋根掛けだけの店「亜旺」肉骨茶



あれれっ? なんでや?
どないして Booking Informationに
Arrival at 26/Jun 08:45 NGO って書いてあるんやろか?
週末、わし 何しとったらええんかいなっ!?
2日も 独りじゃ ヒッ ジョ~ッにぃ サビシ~イッ!


おしゃべりなカラスには、不言実行は難しい。

2010年6月20日日曜日

ギター・インスト、中川イサトさん

ギター・インストを聴いたり、弾き始めたのは、74,5年頃だった。
きっかけは、当然ながら中川イサトさん(1310師匠)の「六番町ラグ」!
当時イサトさんは、加川良や他のミュージッシャンのバッキングが多かったけれど、
ソロの時は、インスト曲を2,3曲は演っていた。
「六番町ラグ」「かすていらのかをり」「セブンブリッジ」等々。

渋谷のヤマハで、ステファン・グロスマン教則本を買った。
彼の教則本はTAB譜のみ(コード記載なし)なので、
何連音符なのか判断できず、レコードも入手する必要があった。
高校生には、金銭的につらかった。

75年にイサトさんの楽譜集「ミスター・ギター・マン」が出版された。
唄が半分で、唄の旋律とギターの楽譜が並列され、
複雑なコードには、親切にコードダイアグラムも付いていた。
半分がインスト曲でTAB譜と楽譜の並列表記の上に コード付きだったので、
聴いた事の無い曲も弾く事ができた。
唄の曲だけど「あふたぁぬうん」のギターもお気に入りのひとつ。

そして、77年にインストLP「1310」をリリース。
収録曲は、ラグやブルースが多いけれど、全曲インストのギター・アルバムなんて、
日本ではクラッシック・ギター以外には無かったと思う。
同い年の従兄弟とオープンGだDだとかとコピーしあっていたもんだ。
正解を知るのは、3年後80年出版「ミスター・ギター・マン2」だった。
この頃「1310」以外の日本のギター・インストLP は、
79年自主製作の小林たけし「ユンタ」を入手したのみだった。

80年代のイサトさんは、ギター学校をやりながら、
自主製作(ナニワ・レコード)で インストLPを5枚リリースするのだが、
総経理は、入手が叶わなかった。
再びイサトさんのギター・インスト・アルバムを入手できるのは、
90年リリースの「Water Skipper」以降だった。



そんな ギターの話とは 関係なく 肉骨茶屋のレシート。
宿は取っても、副業日程は決まっていない。
トホホ。












2010年6月19日土曜日

醇豆腐(ヨンドウフ、Yong Tau Fu)

以前 醇豆腐の画像をupした時に、
激しく反応して、コメントにカキコした方がいて、
さらに水牛通信のコラムで「おでんのルーツ」を書かれた。

醇豆腐は、魚や豚肉のすり身を豆腐、チリ、茄子、オクラ、湯葉等に挟みこみ、
揚げたり、炒ったり、茹でたりして具とする。
挟む野菜、豆腐は、熱を通すがフレッシュ感が大事だ。

馬来西亞の麺類と同様に、スープとドライがある。

具にスープを掛けたものは、「おでん」感覚。
スープは、醤油仕立ては見当たらず、鶏出汁のアッサリ系が多い。


甜麺醤ベースの甘ダレを掛けたドライは、「田楽おでん」感覚。


甘ダレにさらに砕いたピーナッツがフリカケられている所もある。
いずれも、チリソースが付いてきて、チョチョッと付けて食べる。
スープの場合、甘ダレも付いてくる。

確かに「おでん」に近い感覚があるのだが、
「おでん」の様に、具に汁を滲みこませる様な調理はしない。

醇豆腐の専門店、専門屋台の他、
トッピングとして具を置いている麺屋台、
ライスペーパーを円筒形に巻いた(具無し、具入り)

猪腸粉(Chee Chong Fun、チーチョンファン) の屋台でも醇豆腐を置いている。
猪腸粉屋台では、ドライのみの所が多い。

醇豆腐のみでお腹を満たすのではなく、
オカズ又は酒のつまみの一品って感じだ。

アララ、26日 なぜにK都のホテルは、どこも満室なのか?
路上で寝るしかないのだろうか?

困った 困った!

2010年6月17日木曜日

1997年「ジョホールバルの喜劇」の記憶


行き成り、醇豆腐ドライ!

次期総経理雪ん子 ありがと。好きだよ!
サッカーW杯が始まったが、
サッカーに興味が無いので、どうでもいいのだが。

1997年にジョホール・バル(JB)で、対イランとのW 杯本戦出場決定戦があった。
あのビッグサプライズの日。
副業関係で、この試合の観戦を企画した人がドタキャンし、
運転手が不足したので、業務命令で急遽運転手として狩り出された。
入場時に取り上げられない様に、
そつなく日本酒をペット・ボトルに入れて持って行った。
総勢8人、車二台に分乗して、JBに。

JBのホテルで一休みして、スタジアムまで道も間違えずに行けた。
何処から湧いて来たのか、日本人が80%位居た。
こんな沢山の日本人を見た事が無い。

サポーターが紙吹雪用に新聞広告を配って、
紙吹雪の作り方と撒き時を日本語で説明している。
「今、撒いてはいけません」って言うのだが、
ローカルは、直ぐ撒いちゃ、喜んでいた。

日本が先取点をあげた。
久し振りの新聞広告を眺めながら、酒の一杯はもう一杯を呼んでいると、
イランにあっさり逆転されていた。そんなもんさで もう一杯。
同点後の延長、日本の勝利!W杯本戦初出場!
興味が無いとは言え、酒の勢いもあり、興奮してしまった。

興奮したサポーターがフェンスを乗り越えて、
ピッチに入ろうとするのをポリが棍棒で叩いていたっけ。
そんな事を尻目に、早く出ないと渋滞になるので、駐車場に向かう。
が、隙間と言う隙間に、バス、車が駐車されていて、出るに出れない。
サポーターがバスに乗るのを待つ事2時間、とっくに次の日になっていた。

深夜2時頃、ホテルに向かうが、誰も道を覚えていない。
2台の車でウロウロする事、小一時間。何処を走っているか分からん!
タクシーを停めて、ホテルまで先導させる最後の手段に出る。
タクシーを追尾して、2台共、無事ホテルに着いた。
のだが、タクシーと交渉していた奴が居ない。
どうも、タクシーを捕まえた場所に 奴を忘れてきたようだ。アララ。
携帯電話で奴に連絡を取ると、別のタクシーでホテルに向かっているとの事。
奴には珍しく、激怒している。こんな良き日に、怒っちゃ 台無しだよ。
で、良かった、良かったと部屋で呑む事にした。

日本が初めてW杯本戦出場を勝ち取った1997年のあの日、
あれやこれやで、総経理はすっかり疲れてしまった。
ビッグサプライズは、偶然と必然を結び合わさなくてはならない。
と 言う事で、少しだけ、副業お仕事頑張って、みるかな、後一週間。

2010年6月14日月曜日

2010.6.11 豊田勇造 in北見

6月11日お昼過ぎ、前日の開催地 常呂の宿へ迎えに行く。
ここ数年の定宿らしく、宿の関係者は無人で、勇造さんが留守番をしていた。

車で北見へ向かい、北見在住のファンの女性に案内されて「六創美術館」へ。
のんびり鑑賞出来たのか、満足そうに馴染みの喫茶店「異邦人」へ移動。


















「異邦人」にて、80年代前半までの主催者 池田晃四郎と。


今年の会場は、初めてのライブハウス 『夕焼けまつり』

セットリストは、掲示板の HIRO.Yさんの投稿からコピペ。
HIRO.Yさん、あんがとね(^^)

第一部
①青函連絡船
②長崎帰り
③振り返るには早すぎる
④住所録
⑤大文字
⑥桜吹雪
⑦勇造ないないづくし

第二部
⑧三人の旅人満月の夜に
⑨メコンリバーブルーズ
⑩再会
⑪追憶
⑫田中一村
⑬チャオプラヤー河に抱かれて
⑭それで十分

アンコール
⑮夢で会いたい
⑯走れアルマジロ



青函連絡船から始まるセットは始めてだった。

長崎帰りとのセットメニューで、会場はしっかりノリノリ。

二部の新曲3曲は、北見では(当然)始めてだったけれど、

きちんと伝わっていた。

しかし、「メコンリバーブルース」が、今回の目玉になったのかも…。

「さらば愛しき大地」のような歯がゆさが、前を向く力を伴って伝わってくる。

打ち上げは、これも定番の「板門店」という焼き肉屋さん。

炭火でホルモンを焼き、ビールをグビグビあおる映像が、きっとKLにも届いたのね(^^)

雪ん子にとっては「オホーツク塩焼きそば」よりも、断然北見のB級グルメだと

信じて疑わない『目丼』(目玉焼き丼~340円也)

翌日。勇造さんはHIRO.Yさんに乗せられて、330kmの彼方へ旅立ったのだ。

と、まあ、こんな感じで如何でしょう?総経理??

それにしても暑い、熱い北見でしたとさ