2010年11月8日月曜日

エレベーターのリニューアル

ディパバリの飾り

お向かいの印度人に御客さん


コンドミニアムのエレベーターが、順次更新されている。
住んでいる棟には、二機のエレベーターがあり、
その内一機の更新が完了して、先週から稼働を始めた。
即座にもう一機の更新がスタートした。

稼働初日、かごそのものは、以前と同じ、
変っていたのは、押しボタンと階数表示器。
更新前は、三菱電機製だったが、
表示が無いので何処のメーカーのものかわからない。
ところどころ、孔があいたまま。
孔あけの切り粉が、床に散乱。
壁には油で手の痕が幾つか。
昇降中 カックン、カックンして、スムーズではない。
誰も居ない5階で、必ず停まる。
何日かして、空いていた孔に、いろいろ付き始めた。
昇降もスムーズになり、5階にも必要時以外停まらなくなる。

メーカー表示も付いた。「Thyseen Krup」ドイツのメーカーだ。

日本では、コインを立てて運転調整するそうな。
調整不足、細かい所が終わっていなくても、運転してしまう
ここは馬来西亞、停止中でもコインなんか立ちません。
肉骨茶タパス

2010年11月4日木曜日

この週末は三連休

今週金曜日は、ディパバリ(Deepavali)なので、祝日。
ヒンドゥー教の「光の祭典」と言われる御祭。

中国正月やハリラヤ時期と比べると
ショッピング・モールとかの床に、
彩色した御米で描かれた絵がある位で、
街中の盛り上がりに欠ける。
でも、インド人街やヒンドゥー寺院辺りでは、
それなりに盛りあがっている。

住んでいるコンドミニアムでも、
中国正月、ハリラヤ時期は、飾り付けされるけれど、
ディパバリでは、お飾りなし。
それに、9月のハリラヤの飾り付けが未だに外れていない。

今年になって、御向かいにインド人が引っ越してきた。
ここの所、御向かいの扉(鉄格子)を興味本位で見るのだが、
特別な飾り付けは、今のところ無い。
引っ越して来てから、貼られている絵はヒンドゥーっぽいのだが、
ガネーシャが居る

ヒンドゥーじゃないのかな?

♪向かいの印度人 ディパバリ何してるの~♪とは聞けないが、
金曜日に何かある事を期待しよっと!

2010年11月3日水曜日

遠くに居て バラバラの情報を組み立てる事

昨夜は、PCを覗かなかった。

で 今朝 メールや御友達のお家を訪問。
昨夜19時20分mint嬢からの受信メールあり。
「走れアルマジロ」の一言と仲さん、勇造さんの演奏画像が一枚。

bやん宅の01:49コメント返し。
「Live始まる前に一緒に呑んでたけど♪」

さくら姐宅の日記。
「着いた時には 知り合いはもう結構「呑み進んだ」あとだった。(笑)」

Liveとか演奏画像については、意図不明だが、
ウン ウン なるほど。
な~んだ 焼き鳥通天閣を肴に、
みーんなで呑んでいたんだっ!

で、その頃 遠く亜細亜の片隅で、総経理は何をしていたのか。
副業業務関係で、日本から若いの二人が来て、
翌日には、彼らを人外魔境の地に送り込むので、
「最後の晩餐」に付き合って、グビグビ 呑んでいたのだ。

遠くに居ても 御友達と同じ!

2010年11月2日火曜日

Same Old Refrain ~ 御馴染の無為な週末

いつもの様に、無為な週末を過ごした。
土曜日 洗濯後、買い物前に、雲呑麺ドライ。

     
郵便局で、光熱費、通信費の支払い。
    Kinokuniyaで、定期購読雑誌を購入。
    速攻で、スーパーを駆け廻り、お家に帰る。

    
怪しげな大根煮込みを仕込みながら、昼酒。
    雑誌を読みながら、ウトウト。
    夕方 泥の様な頭を抱えて、洗濯物を畳み、
    一杯呑んで、就寝。
日曜日 洗濯をする。今日はタオルケットも洗う。

Blind Sweet Tanとセッション。
    右腕の痺れが無くなる。
    飯を炊き、御味噌汁を作り、

    
イカを刻んで刺身、鶏肉を唐揚げにして 昼食、昼酒。
    雑誌を読みながら、ウトウト。
    夕方 泥の様な頭を抱えて、洗濯物を畳む。
    日本シリーズを放映している。
竜馬が定時で始まらない事に、
    小さな怒りが芽生えるが、直ぐに摘み取る。
    残っていた御飯に、残っていた味噌汁をかけ、
    ハムエッグを作って、一杯。
    竜馬を見てから、就寝。

いつも なーにもしない週末の二日間。

そして 副業の事、正業の事、
ほんの少しの後悔と不安の萌芽を抱えて、
月曜日は容赦なくやって来る。

♪あ~ また 働かなくっちゃ ならないって事さ~♪

2010年10月27日水曜日

「酔って記憶をなくします」石原たきび編

只野酔払氏としては、当然この本を購入しました。
電車乗り過ごし、朝起きたら・・・等々
酔っ払いの体験談が満載。己の事が書いてある。

以前の副業先が恵比寿だった。
相模大野に住んでいた時は、渋谷から井の頭線、
下北沢で小田急線に乗り換える。
只野酔払乗り過ごし常習者にとって 危険なルートだった。
まず、井の頭線で渋谷―吉祥寺を往復、
なんとか下北沢で乗り換えても、小田原まで乗り過ごす。
引き返して、更に新宿まで乗り過ごす。そして 再び往復。
なかなか相模大野に辿り着けない。

大宮に移ってからは、乗り換えなしの埼京線。終点は大宮か川越。
只野酔払乗り過ごし常習者にとって、そう危険なルートではない。
はずなのだが、ふと気付くと、電車と一緒に格納されていて、
操車場から、線路に足を取られながら脱出した。
もちろん 川越まで行く事は日常茶飯事でした。

もっとも危険だったのは、ここ吉隆坡、12,3年前。
華人の家に御呼ばれして、いつもの様に車を運転して行きました。
総経理用に日本酒5合と焼酎5合が用意されていた。グビグビっと・・・。

携帯がRing Ring。あらら なぜか車を運転している。
ヘッド・ライトが明後日の方向を照らしていた。
「Boss, Are you OK?」と御友達。
「I’m OK la! But the head lamp is something wrong.」と総経理。
彼が言うには、丁寧に御礼と御別れの挨拶をし、普通の人の様に車に乗り、
駐車している両側の車を正確に2度ずつBang Bangして車を出し、
普段通りに角を曲がって、ビューンと御帰りになられたとの事。
そして、気が付いた所は、吉隆坡から40km離れた建設中のPutra Jaya。
1時間程 意識が飛んだまま アッチコッチと走っていた事になる。
その間 何があったのか?今でも記憶を取り戻す努力をしていない。

あれ以来、飲酒運転は避ける努力をしている。

酒を呑んで記憶が無くても、目覚まし時計無しに、
次の日(その日)の行動予定時間前には目覚めて、
どれだけ酒臭い身体でも、行動してしまう 己が怖い。

醸豆腐写真館

お家で
スープ

ドライ


スープ



スープ




2010年10月26日火曜日

醸豆腐の起源 番外編 おでんのルーツは、醸豆腐なのか?

おでんと馬来西亞、星加坡の現在形醸豆腐は、確かに似たところがある。
1. 練り物が入っている
おでんだと薩摩揚とか
2. スープ仕立てとドライがある
おでんだと、ツユ仕立てと味噌田楽

では 違いはって言うと
1. おでんは煮込むが、醸豆腐はスープを掛けるか、数分スープでネタを温める
2. おでんは昆布、鰹出汁の醤油仕立て、
醸豆腐は鶏、魚出汁の塩味清湯仕立て
味つけとかは、伝わってから時間が経てば、現地化していくものだから、
これ位の違いは、出て来るかも知れない。

見えてこないのは、どっから、どうやって伝わったかなのだけど。
モスリムが食べられる様に魚のすり身主体になったのなら、
現在形の醸豆腐は、馬来西亞、星加坡で出来た事になるのだが、
いつ、どこで 醸豆腐の現在形が、出来たのかが分からない。

大阪の「たこ梅」によると、江戸時代末期に、
広東人が海岸で煮込み料理を作っていたのを真似て始めたとの説があり、
「関東煮き」ではなく、「広東煮き」だとある。
広東に客家が居るから、醸豆腐がルーツって あり得そうだ。

19世紀半ば過ぎから、現在の馬来西亞客家が渡り始めているから、
スープ仕立ての醸豆腐が、19世紀にはあった可能性は高い。
だけど、客家が居る台湾で、スープ仕立ての醸豆腐を食べた事が無い。
台湾で黒輪(オーレン)、韓国でオデンがあり、
日本のおでんとほぼ同じものがあるけれど、
これは、戦前の日本統治時代に由来する様だ。

おでんのルーツがスープ仕立ての醸豆腐の可能性は十分にあるのだけど、
確信には至っていない。

おでんも美味しいし、醸豆腐も美味しいから、それで十分!

参考になったのは
「とことんおでん紀行」新井由己著
http://www.odengaku.net/menu.html
http://www.takoume.co.jp/