2010年12月24日金曜日

「Early Times Strings Band Vol;1」

コラボ企画「他人が穿く自分の褌で相撲を取る」其の一

吉祥寺の渡辺勝の家に寝泊まりしていた
村上律、松田幸一、竹田裕美子、今井忍と結成したバンド。
バンド名が長いので、当時は「アーリー」と呼んでいた。
渡辺勝の細く、震えるボーカル、
少し悲しげな歌詞、抒情的なメロディーが好きだった。
Yさんのライブの打ち上げで、なぜか渡辺勝が居て、3言位話した記憶がある。

さて、その「アーリー」の79年製作の自主製作盤が、
「Early Times Strings Band Vol;1」なのだ。
画像は某b「他人の物を自分の物の様に紹介するコーナー」でどうぞ!

これを入手したのは、80年か81年。
70年代 いくら アンテナを広げていても、
自主製作盤やマイナーな音盤の情報が簡単には掴めない。
で その手の音盤がありそうなレコード屋を渡り歩き、
丹念に棚の音盤を一枚ずつ見て行く。暇だった事もあるが楽しかった。
中古コーナーに、非売品(サンプル品)が出回る事があって、
たまに そんなレコードも掘り出せた。
貰っても聴きもしないで売っちゃう人がいるのか、
それらは中古と言うより、新古品だった。

このレコードは、そんな掘出品だった。
購入時のレコード状態は良かったけど、
音源そのものがモノラル録音で 録音音質が悪かった。
せこいプレーヤーで聞いたので、さらに音質が悪くなってしまった。
ただ、シングル1枚しかリリースしていなかった「アーリー」、
他の音源では、五つの赤い風船「ゲームは終り」の
斎藤哲夫「吉祥寺」のバッキング位しかなかった。

今じゃシールズからボーナストラック付きでこのCD出ている。
神戸のライブCDも出ている上に、ライブもやっているし、新作CDもある。
As Time Goes By  時は過ぎても 今 生きている 音がある。

豚汁

2010年12月23日木曜日

音楽(音盤)にまつわる親戚の話

一人は、父方の札幌の叔父。下戸でした。
年長の親戚誰もに「あんな大人になっちゃイケないよ」と言われた。
多趣味で亡くなるまで、夢みる少年だっただけなのだけどね。
初版本を保存用と読了用に2冊買う様な人だ。
この叔父の家には、Folkways Records他民族音楽の音盤があった。
50、60年代に採取されたルーツ・ミュージックの音源があった。
二十歳位の時に、叔父に「貸してくれない?」と聞いたら、
「駄目だ。傷つけられるから ここで聴いて帰れ。」と言われちまった。
こちらが働いてからは、縁遠くなってしまい、10年前に叔父は亡くなった。
あの音盤達は、今 何処にあるのだろうか?

もう一人は、母方の同い年、同学年の従兄。こちらも下戸でした。
叔父と同じで夢見る少年の儘、22歳で亡くなった。
3月生まれなのに、可哀そうだからと4月2日生まれに。
地元の有名高校への受験に失敗し、
可哀そうだからと某私大付属高校に入学、高校から上京してきた。
叔父・叔母から「近いから 面倒見てね」と言われた。
ほんとは、一か月年上なのに弟みたいな奴だった。
まぁ 金持ちのボンボンですわ。

細野ティン・パン系、大瀧ナイアガラ系、関西オレンジ・レコード系
ルーツ・ミュージック系(輸入盤)をどっさり買い込んでいた。
叔父と違い 奴は音盤を貸してくれたし、勝手に録音までしてくれた。
売るあての無かった「さあもういっぺん」を1枚買ってくれた。
が 奴のツボを少し外したのか ライブに誘っても来なかった。
風太みたいに センチのローディーになりたいと言っていた。
最期の数カ月 築地のがんセンターに入院していたのだが、
歩けた頃は 銀座のヤマハまで音盤漁りに抜け出していた。

供養だからと遺品の音盤を5枚程頂戴した。(10枚イヤ20枚かも?)
奴が愛聴した1310師匠「鼻唄とお月さん」は、気が引けて頂戴できなかった。
奴の持っていた音盤は、今も従妹の所にある。


で、夢見る少年のまま 生きてく事にしましょうね!

大根と豆腐

2010年12月22日水曜日

ステレオとレコード

「他人の物を自分の物の様に紹介してしまうコーナー」
サブタイトル「決してドロボーではない!」 現在某所で公開中!
総経理的には「自分の物が他人の所でしか見られない聴けないコーナー」
サブタイトル「決して覗き屋ではない!」となる。

アンプとターンテーブルが中央、刺繍布張りスピーカーが両脇に付き、
四足で踏ん張る家具みたいなステレオが家にあった。
居間に鎮座していて、小学生から中学2年位まで、
家族の迷惑顧みず、これでレコードやソノシートを聴いていた。
78回転も聴けた優れ物。SP盤無かったけどね。

玩具みたいなスピーカー別のポータブル・プレーヤーを買った。
高校2年位まで、自室に籠って これで聴いていた。
同じレコードを毎日々々何度も掛け、
針圧を掛けるのに一円玉を乗っけたりしたので、
当時 聴いたレコードは、シャリシャリ、ガリガリ。
戦前ブルースの音源になっちまった!
今頃 音盤保存委員長几帳面某bが唸っている事だろう。

2代目は SONYのカセット付きミニコンポを
雑誌「私の部屋」の「売ります」で購入。
3代目がパイオニアのカセット付きミニコンポ。
SONYよりマシだが、大層なもんではありません。
2代目以降で聴いたレコードには、比較的傷が無い・・・・・はず。

世の中は、レコードからCDに替わり、
暫らくして 韓国無名ブランドの三位一体型ステレオを購入。
だが、各々自室のCDラジカセで聴く様になり、
レコードを掛ける為には、物をどかす必要がある立派な棚となった。
以降、この20年以上レコードを聴いていない。

思えばステレオ性能には無頓着、レコードには乱暴な人生だった。
嗚呼 可哀そうなレコード達よ!
音盤保存委員長宅で静かに寓居せよ!
♪それは僕じゃな~いよ、そ~れは ただの某bさ~♪


おでん味ヨントウフ

2010年12月21日火曜日

今 馬来西亞は寒い!

日本から帰って来たら、馬来西亞が寒い!
雨季だからか、朝から曇り、雨。朝晩冷え込む。
って、言っても天気予報では、最低気温23度位なのだが。
体感気温は、15度位だ。
薄手のトレーナーを着こむと今度は暑い。
トレーナーを脱ぐと寒い。
タオルケットを被ると寝汗を掻く。
なんて 半端な天候なんだ!

おかげで調子を崩して寝込んでいた。

副業復帰すると、「さの字」からのクリスマス・プレゼントが!
総経理が欲しいと駄々をこねたキース・ヘリングのバッグだ!
これでバッグは、ペアルック!
ありがとう 「さの字」!

bやんに送り付けた音盤のリストも届いた。
わしづかみで送った割には、それなりの選択をしている。
bやんが一日一枚UPすると35日掛かってしまう。
他人事ながら、不安になる。
そのリストには第一回配布って書いてある。
第二回配布はあるのか?誰が配布するのか?
それは、私ですか bやん?

体調を戻す為に 3晩続けて食べた肉骨茶。
3連チャンで肉骨茶を食べたが、汗をかかなかった。
今 馬来西亞は 寒い!









2010年12月16日木曜日

花村萬月著「俺のロック・ステディ」

今回の日本お使いで、仕入れた本だ。
花村萬月の本の題名には、「ブルース」「へヴィ・ゲージ」があった。

この本は、「花村萬月がロックを語る」だ。
この人は、真直ぐ曲って行った70年代のロック小僧なのだと
思い知らされる文章だ。

で、その中に幾つか興味深い記述がある。
風貌や過激発言から、ストーンズやパンク好きかと思っていたが、
ルーツ・ブルースを好み、ロックブルースでは、
イギリス人のブルース弾きよりも
アメリカ人のブルース弾きを好む傾向が窺える。
で、その理由は、ベンドやスライドでのミの出し方が、違うからなのだと。

マーティンとギブソンの音の違い位分からなきゃ イカンとか。
ライ・クーダーの追っかけだとか、思わずパチ・パチの内容!

そして、勇造フリーク一番のサプライズは、
70年代前半の京都のライブハウスで聞いた豊田勇造の記述。
♪俺の背中で大の字に山が燃える♪にはぶっ飛んだと書かれている。
でも フレーズにぶっ飛んだのか、なんかでぶっ飛んだのかが不明なのだが。

8月末に勇造さんを空港に送って行く車の中で、
花村萬月の「百万遍」を読んだ話をした時に、
「俺の事を本の中で書いてくれはってなぁ」って言っていた。
「百万遍 古都恋情」の中に書かれていたかどうかの記憶がなかったけど、
この本だったんだ。
最近は 刺身やトロロマグロしか喉を通らない様な気がしてきた!

2010年12月15日水曜日

バタバタバタと帰ってきた!

今回の副業お使い関東編は、バタバタバタ!
昨日の朝は、予定より遅れて成田着。
荷物を置きに大宮倉庫に行くと、打ち合わせ時間に戻れない。
で、Chi葉で時間を潰す。
昼ご飯をゆっくりしようと、鰻屋を選ぶ。
がっ あっと言う間に出て来る。
作り置きするなよ 日本橋の老舗!
午後4時 御使い終了。
一路 大宮へ。
製造元男女と倉庫番の娘と一緒して、いつもの鮨屋へ。
がっ 満席! 別の鮨屋へ。
製造元男に もう呑むのは良いだろうと言われ、珈琲屋へ。
製造元男女と別れ、倉庫番の娘と明洞へ。
レバ刺とセンマイでジンロ一杯。ウダウダと娘と話す。

倉庫に帰り、bやんに無理矢理送り付けるLPを選ぶ。
選ぶことが捨てる事にならない様にと、
グワッしと、掴み取り。
宅急便を頼みに 倉庫番の娘とコンビニへ行く。
住所を書くが、倉庫番の娘が「それは誰も読めねーよ」と
代筆してくれる。

コンビニを出て、近くの和食ファミレスへ。
蕎麦で一杯。

倉庫番の娘の友達が言う事にゃ、
「家族がそれぞれ好きな所に住むって、ファンキーだね」!

Oh それを普通は、一家離散、家庭崩壊と言うんじゃないのか?

3時間睡眠で、成田へ。
財布を見ると、お金が増えてる!なんてこった!
そして、馬来西亞に戻ってきた。

2010年12月13日月曜日

正業的に無意味な副業出張の事

火曜日の打ち合わせに、千葉迄来てねと。
振替の効かない予定が月曜日と木曜日にある。
なので、今晩の夜行便で飛んで、水曜日に馬来西亞に戻る事になった。

火曜日の晩 勇造ライブは関東で無いどころか、
月曜日から木曜日までは何処でもやっていない。
残念!無念!

気を取り直して、有山と友部のライブ予定も調べるが、
どちらも関東周辺でのライブはやっていない。
残念!無念!

今回の副業日本出張は、正業的には全く無意味だ!

何とか意味ある滞在にする為に、
総経理製造元と倉庫番の娘を誘って晩ご飯でも食べる事にしようか?
でも、断られたらどうすればよい~♪

と乞食鶏