2009年11月30日月曜日

ジャケ買い 歌屋Bootee 「ぶらぶらり」


マレーシアから 関西方面に旅行(副業海外出張)する時は、
帰馬前日は、新阪急に泊る。
地下なのか地上階なのか 良く分からない、
梅田三番街の「ナカイ楽器CD屋」に寄る事にしていた。
入って左側奥の隅は、総経理にとって宝庫でした。
ここで 1310師匠、シールズ・レコード、
Blues、フィンガー・ピッキングのCDを漁る。
梅田の立ち呑みは、ちと怖いので、
阪急地下で、お惣菜とポン酒を買い、
ホテルで呑みながら、戦利品を整理し、パッキングが恒例行事。

そんなナカイ楽器で、何年か前にジャケ買いした一枚が、
歌屋Bootee「ぶらぶらり」。

なんか、肩の力が抜ける、関西弁とゆる~いブルーズ。
「One Scotch, One Bourbon, One Beer」
「立ちぐいうどん屋ブルース」
「How Long Blues」
「めしでも食いにいかへんか」他全10曲。
好きです。こんな感じのダルいのは。
この二人 まだやってるんやろか?

「ナカイ楽器CD屋」へは 何時も迷いに迷って、辿り着くんだけど、
一昨年だったか 辿りつけなった。どーも 閉店したようだ。
梅田界隈にあんな感じ(あの一隅)のCD屋は、もう ないんかなぁ?

雪ん子より「あるまじろ通信Vol.2」が届いた。
北の町の雪ん子とクマさんには、
申し訳ないが、ピーカン・32℃のKL。

マグロ納豆、サラダ、ゲソ揚げ、ご飯、味噌汁。
では、良い子はお休み。

2009年11月27日金曜日

それは、ボッタクリって言わないのか?

ランカウイのカンポン・キリム村の川下りツアーが欧米人に評判で、
多い時には月に1万人の参加者を集めているそうな。

7年前に、欧米人カップルが川下りをしたいから 船を出してと漁師に頼んだ。
1時間ほどの川下りが終わり、
漁師が2リンギ(約54円)のつもりで2本の指を突き出したら、
カップルは200リンギも支払った。
シメ、シメ。

味をしめて、川下りツアーを商売にした村民112人は、
副首相から、地域優秀経済プロジェクトの表彰を受けた。

200リンギ払ってしまった欧米人みたいな連中がいるから、
漁師が、漁を止めて、川下りツアーなんかに鞍替えしちゃう。
100倍ふんだくった人達に、表彰する政府もなんだけど、
こんな事が新聞記事になってしまっては、
もうお客さん来ませんね。

さて、今日(11月27日)は、マレーシアはHriraya Haji(メッカ巡礼祭)で休日。
Philippines旅行で、溜まった洗濯物、掃除、食材のお買い物、ワンコの散歩、取り寄せ雑誌の回収等
大忙しの休日でしたよん。

そんな日のお昼は、醇豆腐に客家ポーク

あっち、こっち…


通詞経理の愛犬、A-chi(あっち)君

2003年生まれのラブラドール(だんし)。

散歩は、林道を時速40kmで疾走する。

汗をかいたら、水深数mの貯水池へ
ドボン!

犬は『ケダモノ』です。



今年めでたく輿入れした、Co-chi(こっち)嬢。(まだ1歳前…)
〇〇〇〇レトリバー。(ゴメン、何度聞いても覚えられない)
林道の散歩も、貯水池の水浴びも、まだできないけれど、彼の勇姿をいつも見ています。

子犬は『ギャング』です。





大雪山系は、もう真っ白。
当麻町側から撮ってみました。
多分、右端が旭岳で、あとはわかりません…。



2009年11月25日水曜日

肉骨茶(Bak Kut Teh、バッ・クッ・テー)

マレーシア、シンガポールのオリジナル華人料理と言われている食べ物。
豚の各部位の肉、モツを漢方で煮込んでいる。

中国の何処かには、ルーツになる似た様な食べ物があると思うが、
中国福州や上海のスーパーで売っていた
肉骨茶の素(漢方の詰め合わせセット)は、

マレーシア産とシンガポール産だった。
台湾新竹で見かけて食べた肉骨茶屋には、
「馳名新嘉坡」と書いてあった。


総経理は、大好きなので、週に一度 肉骨茶を食べている。
漢方が効くのか、風邪気味の時に食べると、発汗して、治る。
肉骨茶も店によって、いろいろ。
肉、モツの他に野菜、エノキ等が入って、土鍋でグツグツ出てくるCray Pot Mix。
具を小皿に盛って出す所。
スープが濃茶色の(広東、客家系)、淡茶色の(福建系)
煮詰めて、スープ無しのDryが最近 ちょっと流行ってる。
中国茶の茶葉を選んで、お茶を呑みながら、食べる。
お箸、蓮華、お茶碗をお湯やお茶の一煎目で洗うのが作法。
昔は、朝食だった。

以前は、いろんな所に食べに行った。
夜呑みに行って、肉骨茶で〆たりもした。
ここ数年は お家で呑みながら食べたいので、
懇意のタクシーの運ちゃんに買って来てもらう。

白菜、レタス、エノキ、マッシュルーム、
もどして味付けした椎茸をトッピングして、鍋で再沸騰。
チリと大蒜醤油も用意。

こんな感じ。
肉の脂は、適度に落ちているので、むしろ あっさりしている。

なんか、身体に良さそーなんだよね、肉骨茶ってさ。

では、みんな お休み。

2009年11月24日火曜日

カルワット行為と屋根崩壊スタジアムの事

マレーシア半島部東海岸のトレンガノ(Terengganu)で、3億RM(約90億円)掛け、昨年竣工したSultan Mizan Stadiumは、竣工後1年経たずして、今年6月に屋根が崩壊してしまった。

こんなんなっちゃったので、現在は閉鎖されているのだけれど、
若いカップルが忍び込んで、カルワット行為の穴場になっていたそうな。
でも、このスタジアムってOpen Airなんだけどな。

以前のカルワット行為の穴場のTeluk Kepatang海岸が、急に静かになったのを不審に思った取締官が、この屋根崩壊スタジアムを捜査し、新穴場として取り締まったそうな。
海岸もOpen Airなんだけどな。

トレンガノの若者は、カルワット行為の場所を何処に移したんだろうか?

デベロッパーの資金不足で、立ち腐れになったアパートやビルも、カルワット行為の穴場になると聞いている。車の中も カルワット行為対象。

まっ、みんな すぐに できそうな場所探すんだろうけどね。

そんなに、頑張って 取り締まらなくても、
若いんだから 少し位 してもいいと思うよ。総経理はね。

注)
カルワット行為とは、
婚姻又は血縁関係に無い男女(どちらかがモスリム)が、
閉ざされた空間で一緒に居る事です。

2009年11月23日月曜日

Philippinesに 「副業海外お使い」に行って来た。

お使い初日予定時間の関係で、今回は 格安航空Airasiaを使う事に。
7:20 KLIA LCCT発なので、4時起きで空港へ。

何事も無く、Philippinesの
Disodado Macapagal Internal Airport(空軍基地内)
通称Clark Fieldsに11時15分定時着。
この格安航空用の空港は、Manilaから80km強 離れている。
お迎えの車が 未だ Manilaの渋滞を抜けられないとの事。
空港にはな~んも無いので、
Open Airのベンチで 2時間 待つ。
伊坂幸太郎「終末のフール」読了。

その後3時間かけて Manilaに。
結局 KL出発から12時間 ほぼ副業的に無為な時間を過ごす。

今回の旅は、副業予定で雁字搦め。
うろつき回る暇が無く、相手先に連れ回されるので、
昼夕食とも全部日本食。
30分だけ、うろつきまわったManila。
Philippinesの食べ物を食べたのは、
ガーリックライス、目玉焼き、甘いChicken のBBQ?
帰りのClark FieldsのPilipino Breakfastのみ
つまんなかったよ~ん。

Blind Sweet Tanとの定期セッションが無かったので、
右肩から右人差し指まで、痺れている。
では、良い子はお休み!

2009年11月18日水曜日

瓦屋根を走り、電柱に縛られる子供達の事

2006年の10月 副業取引先の海外営業で、バリバリ関西人のおっちゃんが
久し振りに 出張して来たので KLで呑んでいた。

「ここで、ゴルフもやらんと、休みの日 何してはりますの?」とおっちゃん。
「好きな音楽聴きながら、煮込み料理とか、本読んだり、昼酒したり」と総経理。
「どんなん 聞かれますの?」
「フォークとかロックとか、関西系の人等 好っきやねん」関西弁伝染る。
「幼馴染でな、高校の時にフォークに狂ったんがおって、近所で評判やったんや。
 何年か前に、タイ米の歌 唄うて テレビ 出よったんやでぇ、
もう ええ歳やのに、まだ あないな事 しとったんや」
(Ummm?)
「おっちゃん 壬生に住んどったん?」
「そやでぇ、どないして わからはったん?」
「幼馴染って 乾物屋の勇造やろ」
「勇造 知ってはりますの?総経理 変な人やわぁ」
おっちゃんと勇造さんのヤンチャな頃の話で盛り上がって いい酒が呑めた。
近所の幼馴染だから 当り前だけど 勇造さんと同じで、
おっちゃんも瓦屋根を走り、悪さをしたら電柱に縛られた。
17年間 KLで、勇造さんの話をしたのは このおっちゃん ただ一人だ。

後日、「二軒隣の夏はカキ氷屋 冬はお好み焼屋のちょっちゃん」が
おっちゃんだと勇造さんにメール確認できた。
(ファンクラブの方は、勇造通信Vol.103参照の事)
世間は ほんとに狭い。

で、6.6円山の数日前に おっちゃんから電話があった。
「総経理 行かはりますの?」
「不景気で 暇だから 行きまっせ」関西弁伝染る。
「ほな わしも行こか。ほな また」

6.6 2時過ぎ おっちゃん登場。
「こんなとこ居ったら 茹蛸と難聴になってしまうよって、もう帰りますわ。」
「おっちゃん 何時来たん?」関西弁伝染る。
「三十分位前や。勇造も元気そうやったしな。で 総経理 夜はどないしますの?
あれやったら、京都のええとこ 連れてきまっせ。」
「友達と呑むんやけど、おっちゃんも一緒する?」
「そんなん お邪魔できまへんわ。ほな ええ話あったら よろしゅうに」
なんや、おっちゃん 営業で来たんかいな。
暑いとこ ご苦労さんなこって。
チャン、チャン。

COD Fish蒸しもの

総経理の関西弁 変でも 関西の方 怒らんでやっ。

納涼あそばせ…

総経理の投稿は、暖かそうな、穏やかそうな風景が

載っているけど、雪ん子はもう冬籠もり直前です。


暖かそうなKLがちょっと悔しいので、涼しげな写真を…。


今どき、現役でこんな校舎があったなんて、そこにもビックリ!

2009年11月17日火曜日

Maruyama at 6/6/2009 on North-South Highway(E1) Vol.3

Sg. Perakの川を渡りながら、
CD版「豊田勇造 円山音楽堂 ライブ!」が流れ始める。
ライン録りで、きっちりミキシングがしてあるので、
勇造さんの声、楽器の音が浮かび上がってくる。
「ノンストップ・ライブ」と同じ音量だと、音が大きくなりすぎて、
貧弱カーステのスピーカーでは、音がビビるので 少し音量を下げる。

「海の始まり」ジワ、ジワ シットリとライブの始まりが浸み込んでくる。
初回にこのCDの「走れアルマジロ」アルマジロ達は良いんだけど、
勇造さんが浮いていると感じた違和感。
最初の方 両者のリズムがあっていなくて、
アルマジロ達のリズムで、演られたとの事。なるほど。
こんな「走れアルマジロ」も ♪いいもんだ~♪


Ipohの峠を下り、また、変化の無い景色。
6曲目「フリーアウンサンスーチー」から
Disc 1 最後の「住所録」までの選曲と繋がりは、
総経理は、CD版ならではの、秀逸なものと感じる。

総経理のこのCD の中でお気に入りのひとつは、
「この国で列車を走らせる男達の歌」
延ちゃんのサックスとバンドの疾走感が、
珠玉のTrain Songに仕上がっている。
「住所録」は、いつ聞いても、ジーンとしてしまう。
なんて、思いながら、車を走らせ、Disc 2に。

Disc 2は、なんにも言う事ありませんね、もう ひたすら 耳を傾ける。
車の中なので、サウンドは 身体を振るわせる。車も震えてる様。
Jalan Duta(KL)の料金所手前で、「うさぎ」
このままでは、「センシミーナ」辺りで お家についてしまう。
せめて「ジェフベック」まで、行きたいものです。
と思ってたら、KLは、渋滞! 良かったよ、渋滞で!
30分程余計にかかって、渋滞を潜りぬけ、お家の近くで、「さあもういっぺん」
計った様に、「さあもういっぺん」が終わりながら、お家のガードハウスを通過。

駐車場に、停車して、「11時の鐘」「海の始まり」を聞く。
音が漏れてるのか、車の横を通る住人が、不信顔。
総経理は、決して怪しいおじさんではないよ。

全走行距離790.5km 午後6時42分着




走行時曲数 78曲 停車時曲数 2曲
走行時再生時間 7時間48分30秒 停車時再生時間 12分14秒

「ノンストップ・ライブ」、CD版「円山音楽堂 ライブ!」
どちらも、「あの日」に連れて行ってくれ、今 聞いてる自分を重ねる事が出来る。
さて、10年後に聞いたら、どんな気持ちにさせてくれるか、楽しみだね。



アラヨ、ホイサッ サッ、スタコラ サッ サッ。

紫オニオンのカリー、ナンプラとイカモヤシ炒め、青菜と腐乳和え

では 良い子は みんな お休み!

2009年11月16日月曜日

Maruyama at 6/6/2009 on North-South Highway Vol.2

お使いの御用事 終了。
午後3時、サッサとKLに帰ろう。

♪マンゴシャワーラブレター♪

嬉しいと想いたいが、前が見えないよ~ん。

でも、すぐ 晴れちゃうよ。

60曲に向かって怒涛の「メドレー」が始まる、
総経理もKLに向かって アクセルを踏む。

♪お前 日の丸焼いたやろ~♪
焼いた事は無いけど、誰かに向って、日の丸パタパタ振るのは、ちょっとね。

♪それで十分、生きているだけでそれで十分♪
忘れてました、安全運転、でも止まらない。

♪終電車に乗って帰れよ 待つやつもいない部屋へ~♪
総経理 ガンガン 走って 帰ってるよ ワンコの待つ部屋へ。
ここからは、もう 止まらない、身体が熱くなってくる。

♪血を超えて愛し合えたら~ ~大きな自由~♪
マレーも 華人も インド人も 日本仔も。
♪なんか暖ったかいもんが欲しかったで~♪
暖ったかいもん、イッパイ戴きました。

収録者の近くの奴が叫ぶ!
「この唄、初めて生で聴いた、もう サイコー」
総経理も、初めて円山で聴いちゃった。良かったね。

♪さあ もういっぺん、火の消える前に~ さあもういっぺん~♪
車の中だから、吠える、身体もジーンとする。

ボケさん祝辞を聞き、
♪全て終わった事にして 明日又始めればよい~♪
♪焼き上がり待つ焼物師みたいに~♪
総経理は、勇造を待ってるよ。グスン 泪が出ちゃう。
走行582.3km、Ipoの手前 Sungai Perakで 第3部終了、一貫通しが終わった。
さて 打ち上げに行こう。
CD版6.6円山へ。
屋台の雲呑麺屋で、生麺をお持ち帰り。で、自家製雲呑麺ドライ。


アララ、Vol.3に続く。

2009年11月14日土曜日

Maruyama 6/6/2009 on North-South Highway Vol.1

ノンストップ・ライブを一貫通しで聞く為に、
KLから400km離れたSg.Petaniへちょっと「お使い」に。
朝7時半 お家を出る時、カーステからCD版の
「ジェフベックが来なかった雨の円山音楽堂」(8分2秒)が流れ出す。
そのまま「ジェフ」を聞き、Jalan Duta(KL)の料金所手前で
ノンストップ・ライブにきりかえる。音量は、45、音で車内を満たす。
少し小振りの雨。

♪29才にして車のバックシートで、眼を閉じたハンク~♪
総経理は、眼を開けてるよ、運転してるから、
眼を閉じたら 運転できないよ~。

♪道は憧れのジャマイカへ~♪
まだRawan、道はお使い先のSg Petaniに続いて行く。

♪ここは、君の町 君のふるさと アジアの片隅 Sweet Home KL♪
今ここはKLから100km位離れてる Slim Riverだけどね。

そしてBidor  いつもは ここで寄り道して名物ダック雲呑麺を食べるが、
♪話交わすこともなく、走り続けてきた~♪だから 今日はパスね。

Tapahのサービスエリア、
♪時には落ちに落ちて底知らず~♪で、お腹が一寸、一時停止。


あっ 救急車 ♪そんなにひどくない様に~♪
165km走って、第1部 終了。

収碌者の傍で、「KLって、マレーシアからだって、すげ~な」って。
それは、総経理だよ。だって、来たかったんだもん!

♪すこしぐらい 遅れてもいいと思う♪って、
IPO前後の峠の法定速度、80km/h、90km/hを遵守。(他は、110km/h)
「晴れましたね~」って、ほんとに 晴れてきました。

♪唇かみしめて~♪ Taipingのジャングルの中を走る。

♪新たに線で消す名前~♪で、ジーンとしながら、
消されない様に、ちゃんと安全運転。

♪山 川 田畑~♪ Juruの料金所 240km地点、第2部終了。

ここから マレーシアの米どころ、田圃が始まる、第3部もね。

まだ、緑の稲が、風に揺れてる。
♪そしてできれば風にとけてしまおう~♪


あぁ Sg.Petani Utaraの出口、お使いに行かなきゃいけない。
仕方が無いので、料金所へ。
♪さあ もう少し歩いて ドアを開けよう♪

お使い先に到着。
♪あのは人まだ そこにいるだろうか~♪

395.7km、11時38分





水餃スープ

では、お休み。

2009年11月13日金曜日

宗教上の観点

半島マレーシア東海岸北部タイ国境に接するケランタン州では、
PAS(汎マレーシア・イスラム党)が、州政権を20年近く保持している。
政党名から分かる様に、イスラム回帰を旗印にしている。
この州は、州条例の宗教色が強いので、ホテルにも酒がなく、
店でも売っていない。
華人の限られたエリアに行かないと酒が呑めない。
総経理は、ケランタンのコタバルに行く時は、原則日帰りとしている。

宗教上の観点にたった、発言は この州が最右翼だ。
・スーパーのキャッシャーは、男性用と女性用を常設する事。
 実際、分けているスーパーもあるし、社員食堂の配膳が男女別の所もある。
・この宗教を信仰していない女性でも、肌を露出した服装の場合、厳罰に処す。
 華人女性は、気にしてませんね。
・喫煙者は、動物並みに理性がない。
 と言われても、他の民族よりマレー系の喫煙率が、高そうに思うのだが。
・この宗教を信仰している女性は、口紅をしたり、ハイヒールを履いてはいけない。
 これは、党内女性議員からも反発されてたね。
・シングルマザーと結婚する州議会議員に報奨金を。(この宗教は、1夫4妻まで)
 1夫多妻は、寡婦の生活確保目的なので、正しいのでけれど。報奨金?
一方、セランゴール州のPASは、
・州議会議員が離党する場合は、妻と離婚する旨の誓約書をかわす。
 いくら、与野党間で議員の引き抜きが多いからって、これは ちょっと。

PASは ヘビ・メタバンドや女性シンガーの来馬公演中止をいつでもぶち上げますね。
今年も、ビヨンセ公演に抗議して、ビヨンセ側が健康上の都合で公演延期を決めた。
総経理は、PASのおかげで、ビヨンセを知ってしまった。ありがと PAS。

少し 堅苦しい感じを受けますが、ケランタン のんびりした田舎です。

旧日本軍が、マレー、シンガポールに侵攻した出発点のひとつが、ケランタンのコタバル。南下しながら、華人への抑圧、虐殺があった。
「観光コースでない マレーシア・シンガポール」陸培春(著) 高文研(刊)

2009年11月12日木曜日

あの日の5時間42分29秒

「あの日」のMP3再生時間、ノンストップ・ライブだ。
こいつは、良い。
周囲の音は耳触りではない、「ガンバルマン」本人の声も 息遣いも聞こえない。
まさか 6時間 息を止めていたのではなかろうか?
凄い肺活量の持ち主だ。

2度程、休みの日の午後1時から連続再生し、
真剣に聞く試みに挑戦してみた。
が、酒を呑んでいる内に寝てしまう、
雨が降り始め 洗濯物を取り込んで、畳む、
夕食の用意を始めてしまう、本を読んでしまう等々。
この長尺大作を一貫通しで 堪能する事ができていない。
自分の注意散漫にあきれると共に、
よく考えるとお馬鹿な試みだとも言える。

明日は、KLから走行距離400km、 走行時間 3時間半から4時間、
タイ国境線まで100km強の北の町Sungai Petaniに行く。
日帰りなので、運転総時間は7時間から8時間。
単独運転なので、独りで「あの日」を丸ごと堪能できそう。

第1部1時間36分3秒  第2部1時間43分43秒  第3部2時間22分43秒
イメージ・シュミレーションして見ると。
第1部が終わった辺りで、Tapahのサービスエリアで休憩となりそうだ。
第2部の終わり辺りで、Butterworthだな。
第3部のメドレー辺りで、目的地のSungai Petaniなので、通り過ぎて、
アンコール2曲目が タイ国境か、国境を少し越えるか。
そして、そのまま、引き返して、KLまで戻れば、2回 一貫通しで聞く事が出来るはず。

Ummmm. これでは 副業業務のSungai Petaniでの「おつかい」ができない。
困ったもんだ。Hoy-Hoy!

って、今晩の夕食は、トンカツですね。
そして、BGMは、83年のラスタカラーの加川良ウィズ村上律。(A LIVE.)
出羽 お休み。



2009年11月11日水曜日

Shooglenifty「Live at Selwyn Hall」

1995年以降の数年は、KLのCD屋で 予備知識一切無しで、衝動買いしていた。
この頃 ネットもやってないし、雑誌も読めない、TVもローカル、
音楽の情報が無かった。
しかも、KLのCD屋では、当時試聴できなかった。

で、Ani Difranco 、Keb’Mo’、Titi Winterstein Qintett、Wall Flowersとか
まるで高校生の時の様に、CD棚の一枚一枚をじっくり見ながら、
裏表引っ繰り返して、おっさんが CD屋でジャケ買いしていた。
Shooglenifty「Live at Selwyn Hall」は、そんな一枚。

ジャケット写真には、アコギ2棹、フィドル、マンドリン、パーカッション、ベースを弾く男達6人。
その内4人は上半身裸、70年代前半の髪形、髭面の奴も居るが、顔付はみんな若そう。
楽器構成から推測するに、David Grismanが演っていた様な斬新なBlue Grassの音の様。

家に帰って、聞いて 一曲目 ぶっ飛びました。
なんと、この楽器構成で スコットランド・トラッド・チューンを、
ユーロダンスビート(あのコムロってか)で演奏している。
その後は、ビートの効いた、ケルト。インスト、バンジョーの音も、
そして唸り声みたいなのが入る。
耳から鱗の音だった。原始的な音とビートを感じた。
余分な知識が無いので、素直に身体に入ってくる。

一発で、気に入った。
当時のヘビーローテション、今も 聞いてしまう。

ただ、いろんなCD屋で何度探しても、Shoogleniftyの他のCDどころか、
「Live at Selwyn Hall」ですら、KLでは、見付からなかった。

だから、総経理のお家には、Shoogleniftyは、この一枚だけ。
ネットで見ると、これは3枚目のCD,今も活動しているBandだ。


サバ味噌、自家漬物、野菜炒め煮、とろろ昆布のお吸いもの

少しだけ、なぜこの音に馴染んだのか?テキトーに分かった。
これって節操のない根っ子は、「はちみつぱい」っだっ。


では、良い子はお休み。

2009年11月10日火曜日

マレーシア国民もIC カードに指紋が入力されている。

パスポートの更新に伴い、就労ビザ用IC Cardの更新に、
先週Immigrationに行ってきた。
IC Cardには、本人認証の為に、
パスポート情報と両手親指の指紋が入力されている。
マレーシア国民もIC カードに指紋が入力されている。

マレーシア国民とは、マレーシア国籍を持つ人ですね。
57年の半島側がマラヤ連邦として、英国領から独立をした時、
63年マラヤ連邦にサバ、サラワク、シンガポールが加わり、
マレーシアとなった時に、
マレーシア国内に移住していた華人、インド人も、自国籍を、放棄する事で、
マレーシア国籍を取得できた。
オラン・アスリ(少数民族)は マレー系同様「土地の子」に括られた。
ブミプトラ政策で、「土地の子」は金利、税金、教育面等で、優遇されている。

華人、インド人が、この時に、不公平な条件で国籍を取得したのか?
「華人は、中華人民共和国の成立で、帰国が困難になった事と、
マレーシアで築いた経済基盤を確保する為に、
インド人は、低いカーストの人達が多かったので、インドに戻るよりはと、
それぞれ 馬国籍を取得した。」と総経理は考えている。

約50年の間、民族間の緊張が何度か衝突した。(69年5.13事件が最大)
ブミプトラで「土地の子」を優遇していても、
華人は、マレーシア経済、技術の中心位置を確保邁進している。
インド人は、経済、技術の隙間を埋めて、我が道を行っている。
自らが推進した「ブミプトラ」は、
マレー系のスキルを上げる事が出来なかったとDr. Mが涙した様に、
マレー人は、「頑張らなくても」って生きている。

各民族の「棲み分け、共存」の複合社会が確立したのかもしれないけれど、
信仰、民族習慣の「不可侵領域」を犯した場合は、
今も局所的衝突(小競り合い程度)がいくつか起きている。


なんて考えながら、夕飯は手抜き、ホットサンドウィッチとピザトースト。

よい子は お休み。

2009年11月9日月曜日

「ヨシギュー」マレーシア撤退か?

1ヶ月程前、KLCCのフードコート内の「ヨシギュー」が、
リノベーションでもしているのかと思っていたら、
別の店舗に代わる様だ。
日曜日、久し振りにMidvalleyへ行ったら
ここの「ヨシギュー」は、別の店舗になっていた。

5,6年前に、マレーシアに進出して、3店舗を展開していた。
強いて、「ヨシギュー」を食べなくても 総経理は いいのだが、
どうやら、一度も食べない内に、撤退してしまったようだ。
USビーフ狂牛病騒ぎで、味を守る為に 日本では牛丼販売停止の時、
マレーシアでは オージービーフかNZビーフで、堂々と牛丼販売してたっけ。

10年程前、「モス」も2,3店舗程展開して、2,3年で撤退してしまった。
ハラルの関係で、カツバーガー等の豚肉メニューは無かったけどね。
「モス」の撤退は、モス好きの総経理には、ちょっと寂しかった。

台湾やシンガポールでは、両店とも店舗を維持拡大しているのに、
価格なのか、味なのか、提携先との関係なのか、
どーも、ファーストフードの日本ブランドは、
マレーシアでは商売にならない様だ。

そういえば「すかいらーく」もマレーシアから撤退したっけ。って、日本でもか。

日系のあったモノが無くなる、そんな事を少しだけ
気に掛けるのは、日本人だからなのか?と自問するも、自答無し。
華人は、数百年も 同じ事を自問しているのか?
そんな事とは、関係無く、食べる夕食。
エビ卵、モヤシ炒め、チリナンプラー。
では、お休み。

2009年11月8日日曜日

いつもと ちょっと違う 日曜日

Blind Sweet Tanと朝のセッション。今日は、腰が痛い。BGMは、「大瀧詠一」。

それは僕じゃないよ♪って、近くのJaya JUSCOに、
ワンコのおしっこシートを買いに行く。

秋刀魚の刺身を購入。家で一杯。
が、つい呑み過ぎて、晩ご飯を作る気力が無い。

で、久し振りに 禁断の卵かけご飯。
まぁ、生卵で 一度もあたった事は無いのだが、
あたる人もいるので、数ヶ月に一度位に している。
今晩は、お酒は呑まない事にした。

「海域アジアの華人街―移民と植民による都市形成」を読みながら、
寝る事にしよう。



では、お休み。

2009年11月7日土曜日

豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 楽日

その後、勇造さんが、タイ、京都に住んだ事もあり、
東京でのライブ数が、減った事もあってか、
総経理は、年1、2回Liveに顔を出す位だった。
89年頃から、副業業務でマレーシアに行き始め、92年から 在馬日本人になった。
日本出張と勇造ライブ日程、場所が、ピタリと合わない限り、
勇造ライブを聞きに行けないけれど、
CD、歌旅日記アジア編も楽しんでいる。
この17年間で、「10年位前のマンダラ2」「2004年 拾得バースデーライブ」
「2007年 バンコク」 そして今年「6.6. 円山」にも行った。

時間、距離、年数、どれだけ親しいとかが「楽しむ」 絶対要素と思っていない。
大切なのは、今 ここで、勇造さんを楽しんでいる事。
まっ、いずれにしても、総経理は、呑んでいただけね。
そして、今も 呑んでいるだけ。それで十分。

次期総経理雪ん子は、毎年、北見で勇造ライブをやっている。
あるまじろ無限公司のスタッフの中には、
カラワン・友部・豊田 タイツァーに参加した人も。
どこかの勇造ライブで、再会した人も。
魚や虫の本を作っている人、まだ 東京近辺にいる人、
北海道に住んでいる人、山口に住んでいる人、カンボジアに居るらしい人も。

83年の記念写真がある。
写真をハードコピー、山口のTタさんが 北見の雪ん子に郵送、
デジカメ撮影でJPG化された後、マレーシアの総経理にメール送信された。
30年経っても、我々は、なんてシンプルに 手間をかけるのだろう!

あるまじろ無限公司に関わった人達、
3回の「豊田勇造 6日間コンサート」に来てくれた人達に、
ありがとうと思いながら、勇造さんとは、果てしなく 続いて行く。

誰か「豊田勇造 6日間コンサート」やってみませんかぁ、かぁ、かぁ、~。

♪密漁の夜ぅ~♪

















先日来の友部さんネタにあやかって…。

先程 『サロマ湖』 の近くを通ったのでアップしてみます。

手前の水面がサロマ湖で、遠くの水面がオホーツク海で~す。

2009年11月6日金曜日

次期総経理雪ん子の記憶

あの時も、予定通りに、移動できなかったのね!

6.6.の前日 京都。
予定通りに、飛行機に乗れなかった様に。

あの時はね、総経理が相模大野駅で、入場券で入って、
入場券を次期総経理に渡して、総経理が定期券で改札を通り抜けたんだよ!たぶんね。

一度しか会った事のない、道産子を お家に泊める 総経理。
部分的に 保護する為に、
毛布を下半身に二枚重ねて寝てました。

恵比寿こづち風豚生姜、baby french bean。
なんか、今日のアイススケートで、Knocking Hevenes Doorで踊ってる奴が居たな。
では、お休み。

豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 五日目

84年は、冬に あるまじろ無限公司内ユニットで「ブレークダウン」を1日やった。

井の頭公園の花見で、故S司さんと誰だったかが池で泳ぎ、警察に補導された。
総経理は泳げないので、池にザブッと浸かっただけで補導されなかった。
そして、打ち合わせをして、呑んで、進んで行く。

この年 勇造さんは カセットブック「センシミーナ」を国立マーススタジオで録音、
あるまじろ無限公司も「賑やかし」で参加、ライナーノートに名前がクレジットされる。

S木さんと「東海道線各停最終の大垣止まり、京都遠征の旅」も敢行した。
が、新宿「韃靼」で呑み、中央線で寝てしまい、待ち合わせの電車に乗れず、
次の日 始発の新幹線で京都に行った総経理の事は、また別の話。

資料がないが、記憶では
9月たぶん18日(火)から23日(日) 19時開演 主催 あるまじろ無限公司
初日と楽日が豊田勇造ソロ。
ゲストは、中山ラビ、フラメンコ舞踏家(お名前を失念)、白竜、友部正人(順不同)
チケット代は 値上げしたか、1日券を作ったとか 通しのシステム変更をしたかな?

”追記(09,11,8) Tタさんから情報が
9月19日(水) 友部正人 豊田勇造
9月20日(木) 白竜 豊田勇造
9月21日(金) 豊田勇造
9月22日(土) 中山ラビ 豊田勇造
9月23日(日) 田中美穂 豊田勇造
9月24日(祭) 豊田勇造

※3日券と1日券があって、それぞれ緑と紫で色分けしていました。”

勇造さんが「センシミーナ」全8曲を毎日 セットリストに入れると言うので、
6日間全部来る人には、ちょっとねって事で、
3年間で初めて セットリストについて、素面で30秒程 議論した。
「センシミーナ」から 何曲か入れるって事に落ち着いた様な気がする。

いつもの様に、受付で呑み、ギャラを渡し、毎晩打ち上げ。
第三回目の「豊田勇造 6日間コンサート」が終わった。

その年、総経理は無計画にも所帯を持ち、85年2月に出産予定だった。
この3年間、呑み代と6日間コンサートに 清く正しく年収を使っていた。
呑み代と6日間コンサートを天秤に掛けて、意地汚く呑み代を選択した。

次期総経理雪ん子は、大学卒業で北見に帰る事に。"追記 09,11,8, 雪ん子は、84年春に帰道"

そして、呑みながら、総経理は、
あるまじろ無限公司を遊眠する事にした。

雪ん子迷子事件!?

82年3月 雪の札幌で「とりあえず、東京に着いたら電話をちょうだい」と総経理
に言われ、東京での再会を誓う雪ん子であります。
翌4月 札幌駅から国鉄~青函連絡船~東北本線という、伝統的スタイルで上京
を計るも、前夜行われた送別会の大酒が崇り、急遽飛行機で上京することに
なってしまうのです。
(帰道の時にも、まったく同じ事をする…あぁ、イカン)

羽田空港から総経理に電話をして、「あーして、こーして小田急線に乗るのよん」
とレクチャーを受け、いざモノレール駅へ向かいます。
(雪ん子も小田急線の奥地に住むのです)
山手線に乗り換え、無事新宿駅に到着した雪ん子は、(多分)中央口で小田急の
切符を買い『国電の』改札を通るのですね。
(この辺、合っていますかね?記憶がアイマイなのですが…)
そうしたら、また改札があるではありませんか。
上京したてのホッカホカを悟られたくない雪ん子は、
改札された切符を、当然のように駅員に渡して(ひょいっと、ほおリ投げて)
『小田急の』改札を通ったのです。(…同じ事したヒトいないかな~???)

ふと我に返った雪ん子。
「電車を降りた時に渡す切符がない!」「東京は怖い所だよ、おかーちゃ~ん」と、
小田急線のホームでパニックになっていたら…。
「北海道からお越しの雪ん子さま、ご友人から電話が入っております。
駅長室へ…」とのアナウンス。
もしや、ワタクシを呼んでいるのですか?と駅長室へ行って電話と取ると、総経理の声が。
「新宿駅、分かった~?ちょっと面倒なんだけど…」
   …はい、もうすでに洗礼は受けましたです。
「もう、遅くなるから相模大野で降りて、家においでよ」
   …はい、ぞうざぜでいだだぎばじゅ…(涙)
聞けば、羽田からの経過時間を計算して電話をくれたらしい。

この時、雪ん子は総経理に一生付いていこうと固く決心するのでありました。
(うっそ~~~。そういえば、相模大野までの切符はどうしたんだろう???)




  83年のチケット。何故か「当日精算券」の文字が…。











通詞経理のおうちは、外壁を張り始めました。

左側の濃い青色は、工房部分で鉄板張り。

正面の下側、薄い青色が住居部分で、下見板張りです。

もう2週間ほどで張り上がりそうです。

そうなれば足場を外して、いよいよ内部の造作です。

足元の白い物体は、そうです、雪です!

2009年11月5日木曜日

「豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 四日目

82年に、S崎くん、S永くん K井さんが新たにスタッフとして、協力してくれた。

その他にも名前を失念している人達が。
井の頭公園でお花見をして、打合せして、また、また、呑みながら 進んで行く。
総経理とS木さんと打ち合わせの後、原付でS木さんとタンデム、帰宅途中。
白いスーパー・カブを抜きかけたら、ライダーがポリだったので、
ノーヘル、二人乗り、飲酒運転で、交番にしょっ引かれた。
これ以外、そんなに困る事は、発生しなかった。2回目だからね。

83年9月 19時開演 主催:あるまじろ無限公司(主催名を変更)
20日(火) 豊田勇造
21日(水)映画「ローリングストーンズ ハイドパークコンサート」・豊田勇造
22日(木) コント物産・豊田勇造
23日(金) ペッカー・豊田勇造
24日(土)友部正人with 西依一実、永田純、近藤達郎・豊田勇造
25日(日)豊田勇造
3日間有効1800円 (気が弱いので、300円だけ値上げ)

この年も、ガラガラになる事が無い毎日。
そして、費用補填と実益の為に 受付で呑み。
勇造さんとゲストにギャラを払い、毎晩 打ち上げ。

今年も 何回も来てくれた人がいた。 いたはず?
チケット売上枚数、集客数、毎日の記憶から 初めて気が付いた。
3日間有効チケットの脆弱性について。
一枚のチケットに、1日1個ずつハンコを押したと記憶しているのだが、
同じ人が同じチケットで来ているかどうか識別できない。
お友達3人でシェアしている可能性もある。
そういった使い方もあったのかと思うものの・・・。

更に 総経理は、呑みながら 84年開催を決定。

83年のチラシ
これは、次期総経理雪ん子提供のPDFファイルだった。
ありがとう。
肉茄子味噌炒め、具沢山味噌汁
では、お休み。

2009年11月4日水曜日

「豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 三日目

82年9月  19時開演 主催:あRUまじろ有限公司
14日(火) 近藤等則・豊田勇造
15日(水) 豊田勇造
16日(木) 映画「ジミープレイズインバークレー」・豊田勇造
17日(金) 友部正人・豊田勇造
18日(土) ハネムーンズ・豊田勇造
19日(日) 豊田勇造
3日間有効1500円

照明:I原さんの芝居仲間、PA:T吉良くん

キッドは、100人位のキャパだった様に記憶しているけれど、
毎日 お客が入った。
ガラガラなんて日は 無かった。
少なくともスタッフの数以上にはお客がいた、五十人以上は)。
総経理は、本番中のほとんどを受付に座り、
費用補填と実益を兼ねてお酒を呑んでいた。
毎日 ギャラを勇造さんとゲストに渡し、毎日 明大前の呑み屋で 打ち上げ。
毎日 勇造さんと最終の小田急線に乗って帰宅。
6日間 毎日来てくれた人が居た。
なんて、奇特な奴だ! ねぇ、S崎くん!
確か、楽日の打ち上げに参加してもらい、早速スタッフに勧誘した。

後日、反省会と会計報告を兼ねて、どこかの呑み屋で呑んで、
83年も開催する事に決定した。

82年のチケット
このコンサートで初めて豊田勇造を見て、27年間もチケットを保存してくれ、
今も勇造ファンの高木さんが提供してくれました。
ありがとう。
総経理は、「遠慮」という言葉を知らないので、
次はカラーコピーかPDFでお願いね。

6日間のセットリストを保存している奇特な方は、資料提供の程を。


焼きうどん、サラダ、ニラ玉、ソーセージ、ゴボウスープ

では、お休み。

2009年11月3日火曜日

「豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 二日目

そんなこんなで、人も集まって、骨子も決まった。
だが、東京でコンサートを主催した事が無いので、
何をどうすれば、どうなるのか?

呑みながら話していると、いろんな事が持ち上がってきては、
呑んで忘れてしまう 総経理。
だが、勇造さんと皆のおかげで、ひとつずつ 解決されていく。
最大活用したのは、勇造さんのネットワーク。

「発見の会」も使った明大前「キッド・アイラックホール」を照明、PA込で借りる。
宣材印刷は、やはり「発見の会」繋がり、
中野の「アジア印刷」石井さんにお願いして、
かつ よく呑ませてもらった。
チケットは、お芝居をやっていたI原さんに音頭を取ってもらって、
チケットカウンターに置いてもらう。「ぴあ」等にも載せる。
ゲストは、勇造さんがニューヨークで知り合い、ご近所の「近藤等則さん」。
総経理も他の人も聞きたかった「友部正人さん」。
水玉消防団内ユニット 天鼓さんとカムラさんの「ハネムーンズ」に決まる。
それぞれ、勇造さんにブッキングをお願いする。
残り1日のゲストが 決まらない。
しょうがないので、ジミヘンを呼ぶ事にした。
Filmの調達はK本さんにお願いしたのかな?
S谷さんが撮影した「海の始まりツァー」ポスター用写真をベースに、
ウズラ社中がポスターをデザイン。
勇造さんが女性に腕を取られ、はにかんで、横を向いている 白黒写真だった。
田川律さんにも アドバイスを受け、呑む。

皆に時々 お小言を言われながら、お酒を呑んでいると、どんどん 過ぎていく。

初日の朝 副業出勤前に、突然 総経理は考えた。
「ところで 豊田勇造を6日間も聞きに来る人って 東京に何人いるの?」って。

そういう事は、最初に考えておくべきだったかも?
アジフライ、串カツ、ピーマンフライ、ポテトサラダ、トン汁
では、良い子はお休み。

2009年11月2日月曜日

「豊田勇造 6日間コンサート」の記憶 初日

82年春 給料が入り始めた総経理は、
総経理のアパートだったか、勇造さんの家だったかで。
勇造さんに「ギャラを払うから、ぼく一人にうたってくれないかなぁ?」と話した。
それが、何がどう転がったのか、上京してきた 次期総経理雪ん子が加わり、
コンサートを主催する事に。
雪ん子が上京当日、迷子になった事や、
悪魔の様に囁いた勇造さんからGuild D40を 総経理が月賦で買ったのは、
また別の話。

勇造さんから 協力してもらえそうな人達の「住所録」を渡された。
「豊田勇造を肴に 遊びませんか?」と言った趣旨を、
総経理秘蔵の「プリントゴッコ B5判」で往復はがきに刷って、送った。
S木M由美さん、TタS苗さん、K本さん、I原さん、T中S明さん、T中S子さん
そして以前から知っていたkumaさん、T吉良くん達が参加の返信をくれた。
別働隊に、M美やE藤の総経理演劇部関係、
美術に大学関係のうずら社中えーしん。
結構な所帯になった。

最初に皆で集まったのが、どこだか覚えていなけど、たぶん「新宿 石の屋」。
二人以上集まったら打合せと思っていたので、大体 呑みながらだった。
いつも打ち上げ状態だったのは、総経理だけかもしれないけれど。
打合せ場所は、故庄司さんの「新宿 韃靼」、下北「眠亭」、「桃屋」、「陣太鼓」他
呑める所なら夫々のアパートでも。
偶に「談話室滝沢」、下北「いーは・とーぼ」だったが、
終われば、呑みに行っていた。

なんか分からない内に、連続6日間のコンサートをやる事になっていた。
総経理が、酔っぱらっている内に 大言壮語しちゃったのね、たぶん。

このコンサートの基本的な同意内容は、
① ゲスト&豊田勇造4日、勇造ソロ 2日
② 3日間有効の通し券を発行
③ スタッフの知恵、体力、時間、交通・飲食費は、自腹。
   もれなく6日間ライブが堪能できる! 
④ コンサートの全費用は、総経理が捻出
   但し、当日のお酒の売上は費用補填に
なんて!シンプルなのだろう!
シンプルに、Roti Chanai 風 サンドイッチですね。

2009年11月1日日曜日

週プロしか!


今や、プロレス雑誌は、週プロしか無い!!


でも、これしか読むことができる物も無い。


今日 思うのは、吉田真理子。

W井上と同期。


まりちゃんは、全女を辞めてから、

やりたっかった、プロレスをした希な存在ですね。


「息吹」 おもしろかったな。