2015年10月31日土曜日

Haze was gone!

この数か月 ず~っと馬来西亞に留まられていたHazeさん。
モンスーン発生で 霧散されました。
 
久し振りに青空!
 
お月様も青空にポッカリ浮ぶ
 
ゲンティン・ハイランドも見えるよ!
 
で 気分はウキウキ そして〇カ プ〇 〇カ・・・。

2015年10月26日月曜日

Sill Waiting Something on My Way

四年もかけて
受注できなかった仕事
お仕事の机周辺をお片付け
無駄になった紙を リサイクル箱に入れる。

ついでに ド~ン ド~ン おかたし
PCの中も おかたし。

2014年以前の数年前のファイルは
おかたし おかたし。

メールも おかたし おかたし

そんな夜には
40年 聴き続けてる音を聴こう

シンプルな音
チョットだけ 男の深い声が
また 俺をどこかに 連れてってくれる。

だけど 櫻の木の下で
朽ち果てる事もあるよね。
そんな時は スカートを
ほんの少しだけ まくってくれるかな 俺だけ為に。


2015年10月25日日曜日

Why Kyon2 do Always in Seazonal on My Life?

犬の娘bの食べ物を仕入れに行き 帰宅。
どう見ても 2時間位で読了できる本を読む。
「小泉今日子はなぜ いつも旬なのか」助川幸逸郎著 朝日新書
 
わたし KYON2好き です。
 
わたしの部屋に カラーテレビを持って来てくれて 家に居座った人がいて
当時毎週正座してみた「あんみつ姫」にKYON2が出ていた。
ドラマなのか バラエティなのか分からん 番組で
KYON2は 笑みを浮かべながら 
チョット チョットなによ これ?みたいな表情をしていた。
この チョット困り顔に 惚れました。
「十階のモスキート」にも出てたしね。
 
助川は 彼女が変化し続け
時代と寝ているようで 時代と寝ないアイドルだから
いつも旬なのだと検証している。
そして なんでも まず受け入れてやってみよう
やってから 嫌なら ハッキリ 言いましょうね 嫌だと!
 
 
 
 
 
 

2015年10月24日土曜日

Sanma in Season Now at 馬来西亞

久し振りにFresh Sanmaを入手
For Sashimiと記載されていないが
首を折って 三枚におろし
皮を剥いで 一寸たたいて チリパティ醤油と和える。
山芋を摺って、納豆、オクラの
ネバネバ三兄弟と合わせた 丼にし
肝臓用に蜆味噌汁と
 

完璧な昼食だ!

2015年10月23日金曜日

スマフォと You Tubeと カラオケと

銀輪部隊が上陸した街 お酒が入手しづらい街
小さな中華街の 小さな中華屋
お仕事上で 懇親会さ。
 
いつの間にか 各社対抗カラオケ大会を宣言される。
あのね 俺んとこは 俺一人だよ
でも 他の会社は5人位は居るんだよ!
 
小さな中華屋のカラオケ
俺が歌える唄は「SUKIYAKI」しか無かった。
 
他の連中も歌える唄が入っていないので困っていた。
 
それでも 唄ってる人がいるな~と
観てみると な~んと
ブルース・ハーピスト状態で唄ってる。
 
 
それは スマフォの下部スピーカーに
マイクを当てて 両手でスマフォとマイクを握って
スマフォ・ディスプレーを見ながら 唄ってるんだ!
 
スマフォ You Tubeで検索して
カラオケさ。
 
歌詞が出る画像もあるしね。
 
俺も 他社の小僧に 検索させて
ブルース・ハーピスト状態で
唄ったよ 
それは「盗ったら アカン!」さ。
 
 

2015年10月19日月曜日

虫干し日和の日には

ギターケースから ギターを出して
虫干ししましょうね。
 
 

エレピも カバーを剥がして 
虫干しさ。
 
 

ドンドン お片付け
右のモノを左に
左のモノを右に

そんな事を繰り返していると
左も 右も 分からなくなって

誰かからの絵葉書を断捨離しそうになった。
 
そんな虫干し日和の日だった。

2015年10月16日金曜日

電気 on my life

さて この2週間位
困った生活上の問題。
 
わ~た~しの国では
湯沸かし器は 電気ヒーターさ。
 
風呂に浸かる事は
泳げない私にとって 溺死ぃチキン
トロッキーやジョージの様に
バスタブで死ぬのは嫌だ。
で 溜め置きの水に ヒーター熱水を
入れて お湯浴び。エコ!
 
が 電気ヒーターのスイッチを入れると
漏電遮断器が落ちる。
素晴らしい!電化製品。
 
電気ヒーターが漏電していて
シャワーを浴びたら感電死した人が居たこの国。
 
何か 対策を考えよう。
 
で 今夜は 揚げ出汁豆腐と
貢物の崎陽軒の焼売さ。
 
 
 
100Vは肘に抜け 200Vは肩まで抜ける
215Vは 未だ経験していない。
御湯浴びする時は 絶縁安全靴を履こうと
Red Wingのサイトを見てるんだよ!
 
 
 
 
 
 

The music of the primes

「素数の音楽」と言う 読めば 読むほど 迷宮に迷い込む本がある。
素数とは 1と自分自身以外に正の約数を持たない自然数の事だ。
割り切れないけれど 存在する数の事。
「素数の音楽」は 数学の形而上学的探究の話だけれど
音楽の素数も楽しいのだ。
 
楽譜に書かれた音と拍をなぞる事は出来ても
人が介在する以上 メトロノームの様に 
正確なリズムを取る事が出来ない。
一音 一キーのピアノでも
同じ音と拍は出ない。
ましてや 耳コピーから始まる音は。
演奏者が口パクしない限り
同じ音は出ない PAやアンプによっては再生音も同じにはならない。
 
音楽は素数なのだ。
 
で 絵画やイラストはどうか?
音楽と同じで 模写から始まり
ただ 絵筆をキャンバスに押すタッチだけで
同じような 同じでは無いものに。
 
商業デザインは 斬新な感覚が必要かもしれないが
あれ これって なんか 馴染みがあるって感覚も必要でしょうね。
だから これは私の100%オリジナルなんて 言わずに
ちょっとだけ 私風にしたとか
これって コピーしたけど ちょっと違うんだって 言えばいいのにね。
シルクスクリーンで複製した時代より
コピーやネットからパチレル時代だからね。
 
だから アンディー・ウォーホールが好きさ!
 
では クロスロード!
全ての生きとし生けるモノは 素数なのだから。
 
 

2015年10月14日水曜日

トースターでGO!

今年何度目かの新年(ヒジュラ歴)旗日の
馬鹿馬鹿しい朝は 読書に限る。
 
トーマス・トウェイツ著「ゼロからトースターを作ってみた結果」
 
美大の大学院生が ある日
学位発表作品で
「ゼロからトースターを作ろう」と一念発起。
 
ゼロからとは
鉄鉱石を採石し 精錬する。
銅鉱山から採取した銅溶解液から 電解で銅を回収する。
等々 原材料から トースターを実際に作ったドキュメンタリーだ。
 
お馬鹿な行動は、環境リスクまでを考える事になる。
 
「熱気球をつくって空を飛ぶ」と考えた
梅棹エリオに 通じるものがあるけど。
 
真剣に冗談みたいな事をしているのが 好きだな。
 
 
 
 

2015年10月11日日曜日

My Sweet Grand-Pa Pa

俺の記憶の底
何枚かの モノクロ写真がある。

俺は 黄土色のタータンチェックの上着を着て
ツイの半ズボンに 編み上げ靴で しゃがみこんで
シャッター目線の写真だ。
爺さんが撮った写真だ。

あるいは 御揃いの服を着た 姉や従妹と
札幌の庭で佇む写真だ。

爺さんは 仕事で東京に来ると
子供泥棒の様に 俺だけを
銀座、神田、浅草 江戸前の
蕎麦屋、天麩羅屋、寿司屋、鰻屋に連れて行ってくれた。
美味しかった。

俺は 対の上着と半ズボン 白いシャツに蝶ネクタイ
編み上げ革靴から 少しだけ覗く白の靴下。

爺さんが亡くなった冬
家族で羽田まで行ったけど 千歳が豪雪で 
飛行機が飛ばず お家に戻る。
お家の路地の入口にある焼き鳥屋で 家族で深夜遅い夕飯を食べた。
爺さんが教えてくれた 粋な味とは
全く違う 濃厚なタレが 脳を刺激して
爺さんとお別れできたよ。

2015年10月9日金曜日

卵とバターの日

ちょっと 残念な晩には
タップリのバターで 作るオムライスだ。
 
そうだ ノーベル賞を受賞する事が目的では無い。
核兵器が無く 原発が無く
戦争放棄
 
で 包まないオムライスを食べた。
少しだけ 辛いけどね。
 
 

2015年10月8日木曜日

Nobody Knows

冷凍庫の様な 事務所から 徐々に
身体が解凍されながら お家に帰る。
 
御飯を炊き
ハンバーグを料理する。
 
付け合わせは マカロニと半熟卵。
 
少しだけ 満足しながら
聴くのは Ry Cooder 「JAZZ」!
ご機嫌な音さ。
 
誰も俺の事を知らない
いつか だれかと
俺が何かやり遂げるまで
誰も俺の事は知らない
 
そして夏が来て 誰もがちょっと思う
涼しく体を冷やしたい
君も来て 一緒に冷えたビールを呑もうよ
 
誰も 俺に言わない
 
クリスマスイブには 列車の下で
ただ乗りしてたさ
ゴトゴト 俺の首が揺さぶられ
 
さて 俺は 何もしないかも知れない するかも知れない
 
でも 誰も俺の事を知る事も無い
だって 誰も そんな無駄な時間も無いしさ
 
 
 

2015年10月7日水曜日

愛しの排骨飯

ネットのデリバリー・サービスを見ていたら
新しく臺灣便當がラインナップされていて
メニューには 臺灣便當 最強の排骨飯(パイク―ファン)があった。
 
早速 オーダー!
ウ~ 竹の箱が なんとも臺灣便當
 
ちょっと お洒落だ。
 
豚肉にしっかりと味付けされているのが
日本のトンカツとは違う ウマウマ!
御飯に乗ってる 肉そぼろも良いのだけど
できたら 排骨が 御飯の上で 
肉そぼろは 端の方で 恥ずかしいそうにしていて欲しかったな。
 
40年前に初めて 台湾に行ってから
台湾のいろんな所で 排骨飯 排骨麺を食べて来た。
現場の仕出し弁当、路上の屋台、駅弁、市場の屋台、秤売りのブッカケ飯屋等々。
蜆の紹興酒漬けの次に 好きな台湾の食べ物だ。
その次は 虱目魚飯(サバヒ―ファン)さ。
 
一番好きな 排骨は 衣にも味が付いた
こんなのだけどね。
 
愛する人と 一緒に食べたい 我が愛しの排骨飯~♪


 
 
 
 

2015年10月6日火曜日

御飯を食べる

北西の街から帰ると
お米が食べたくなった。
温存していた「兵庫県但馬産 コシヒカリ 蛇紋岩米」を炊いた。
 
う~ 日本米 美味しい!
お米だけで ちょっと食べて
ウの字に貰った 奈良漬やら 紫蘇の実 うま塩海苔をトッピングする。
う~んまい!
 
 
残った御飯は あの子の作った 塩むすびにしようと思ったが
bやんの梅干し+紫蘇で
自分で作った梅むすびにした。
 
明朝 ウの字のうま塩海苔をまぶして 食べよう。
 
TPPには まったく関係なく
ジャポニカ米は 日本のお米が美味しいのだ。

2015年10月5日月曜日

妄想と妄想の狭間

不思議な事に
四六時中 認識できているのは 自分だけだ。

親しい人が 何処かで美味しい食事をしていても
楽しい時間を過ごして居ても 認識できない。

邯鄲の夢の様に
自分が観ている夢の中に居るのかも知れない。
好きな人も 愛している人も 
自分の夢の中で 妄想している人達なのだろう。

自分も誰かの夢の中で妄想されている人なのかもしれない。

ならば 勝手に動く事ができるのではないか?
何をしても 妄想の中の出来事なのだから。

と 妄想しながら 眠りに入ろう
妄想と妄想の狭間で 起こった事は忘れて。






2015年10月4日日曜日

タハラくんが来てくれた2日間とちょっとの時間

大学の頃 主宰していた「牛の会」構成員のタハラくん
ハノイ出張の帰りに 馬来西亞に来てくれた。
タハラくんに初めて会ったのは 38年前の事
2年遊んでから 大学に入った俺とは
二つ年下で 福島から上京してきた 好青年のサウスポー!
その頃 俺は おじさん 又は おいちゃんと皆から呼ばれていた。

会うのは 恩師の退官パーティー以来だから 20年振りだ。
KLIAに迎えに行き お家にお持ち帰り。
家に入るなり
「おじさんのアパートで 押入れにギッシリの本とレコードを見て
感動したけど 40年近く経っても 同じだね」 と褒められる(テレテレ)。

タハラくんは 南相馬に居る。
何の躊躇も無く 携帯放射線量計を取り出して
「おじさんの所 南相馬と同じ数値だよ」
Ummmmm!

大学の頃と同じ様に 酒を呑み
馬鹿話 少しだけ 真面目な話をして寝た。

翌日は 俺の休日の過ごし方に付き合え
でも 朝食はいつもと違うよって。
肉骨茶の聖地クランで朝食の後
KLCCで本屋、スーパーで御買い物
家に帰り 11時が回ったので 「命の水」を呑む。

タハラくんは ちょっと不満そうに
「おじさん これって 今日はもう何処にも行かないって事?」
「そうだよ タハラ 明日 観光に行こう!」
で 一緒に酒を呑み 御昼寝をして
レバ刺しを食べに行き 足裏マッサージ
ラムリ―バーガーを歩き食いして 寝た。

俺がBlind Sweet Tanとセッションしている間
タハラくんは お散歩に。
インビの市場に行き バティック屋へ、
イスラム美術館、客家で客家麺とヨン豆腐。
家の近くのスーパーと中医屋へ。

あれっ これって いつだったかと同じコースだ。

で また 酒を呑み 馬鹿話と少しだけ真面目な話をした。
タハラくんが もっかい 足裏マッサージとラムリ―バーガーと言うので
最後の一時間を過ごす。

お家に戻り タクシーが来て タハラくんが空港に行く。
「じゃあな 死ぬ前にまた逢おうぜ!」

そして 俺は また独りになったんだ!























2015年10月1日木曜日

Midnight Runbler

漫画では 読んでいたけど
「深夜食堂」と「孤独のグルメ」を
You Tubeで観ている。

そうだった こっちに来る前まで
何年も 何年も
新宿、渋谷、下北沢、池袋、新橋等々
終電が終わった街を
ウロツキ廻っていた。

帰る家があり 自分のベッドもあるのに
夜中をウロツキ 仕事に行く前に
立ち食い蕎麦屋や 定食屋で 朝飯を食う。

週末 恵比寿まで 一週間分の着替えを
一週分の汚れものと引き換えに
来てくれる人と子供が居た。

そんな 記憶が蘇って来た。